鹿島美術研究 年報第17号
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シュルレアリスムは,彼の歩みの一通過点であって,シュルレアリスム的オブジェ制作は,彼の目指すレアリテ(現実)を充全に表現する方法ではなかった。眼に見えないものを,眼に見えるように表現する,20世紀芸術はこの無意識的なものを,いかに表現するか,ということを試みてきた。無論,ジャコメッティもそれを実現しようとした芸術家である。しかし,彼は,様々な革新的彫刻を作った後,伝統的方法,や粘土をこね彫刻し,カンヴァスと油絵具を使って肖像画・静物・風景画を描いた。しかしそれらは,ジャコメッティ独自のヴィジョンの反映であり,セザンヌの探求の真の後継者である。それは,また意識と無意識,つまり知性と本能とが融合した古代の象徴的表現の復活でもあった。この意味で,ジャコメッティはエジプト芸術を讃え,それを模範とするのである。ギリシア以前を再考することは,20世紀西欧文化の課題であった。ジャコメッティ芸術が,そのことに果たした意義を私は明らかにしたい。⑯ 1873年ウィーン万国博覧会関連未刊行資料の収集・分析とそのデジタル情報化研究者:国際日本文化研究センター助教授当博覧会が日本の美術史,美術館史,産業史上,重要な博覧会であったことは,多くの研究者の指摘するところである。たとえば,木下直之『美術という見世物』(1993年)では,美術史と博覧会との関係から当博覧会が取り上げられている。また,産業史,博覧会史という立場から吉田光邦編『万国博覧会の研究』(1986年)で取り上げられている。政治史でも『『米欧回覧実記』を読む』(1995年)において松宮秀治が論じている。これらの研究により,当博覧会の日本の参加について,様々な歴史的事実が明らかになったが,ここには一つの論点が未だに欠落している。これまでの研究では,美術史,産業史であれ,この時代から後に日本で形成された概念を通して当時の参加者を眺めており,そのために,調査範囲が個別の興味に限定されている。当時と現代のつながりは明らかになるが,しかし,この「外からの視点」ではつかみきれない実態が残る。そこで,本研究では参加者の行動や思考の経過を追うことを重視し,彼ら自身の視点からどのように当博覧会やヨーロッパが見えたのかという「内から視点」を提示する。これまでの調査によって,国内外の資料館・美術館・博物館などにはまだ多くの70 -森洋久

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