鹿島美術研究 年報第18号
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―インドネシア・スマトラ島のビダ(男性腰布)について一~⑳ 漠代石碑の形式と装飾意匠の研究の関わりを年代を追って具体的に検討するのが本研究の目的である。特にプット表現に関し,プッサンの伝記を書いた批評家ベッローリや彫刻家ボッセリは,プッサンと彫刻家デュケノワがティツィアーノの作品《ヴィーナスヘの捧げ物》(プラド美術館)から着想を得て,古代美術やミケランジェロに見られるプット(puttoanti co)よりも幼さや柔らかさ(tenerezza)を示すプット(puttomoderno)を完成させたとして特筆している。コラントウオーノ(1987)は,プッサンがその新たな比例を,当時の観者の共感を引き出すための一種のレトリックとして用いたことを指摘したが,ここでは,さらに具体的な着想源と個々の作品を比較することで,人体比例のみでなくポーズや全体の構図,イコノグラフィ的意味をも分析する。それによって,プッサンが古代とルネサンスの先行作品をいかに受容あるいは変容して視覚的レトリックを作り出しているかが明らかになる。研究者:早稲田大学大学院文学研究科博士課程濱田瑞本研究の目的は,漢代の石刻美術の代表的作品と考えられる漢碑の形式,および装飾意匠の正確な把握,さらに個々のモチーフを通じて漢碑に象徴される思想を解明することにある。従来,石碑の研究は文学や書道史の方面からしか扱われなかった感はあるが,宋の洪造がその著書『隷続』の中で漢碑の碑文解釈だけでなく図も取り入れて紹介し,清末の葉昌識は『語石』の中で漢碑の起源や形式について触れるなど,漢碑の形状や文様について少なからず興味が示されていたことが窺える。日本でも昭和初期に関野貞の『支那碑硝形式の変遷』が出版され,漢から唐時代までの石碑の形式変遷が論じられた。中でも漢碑については碑の起源を根拠としながら,その形式について解明が試みられた。しかしながらこれ以後,美術史的観点から石碑の形式を研究する者は皆無といってよい。これには,石碑は文字を刻したものであるという概念が強いため,戦後の研究分野の細分化とともに美術史研究者から注視されなくなった経緯がある。しかし根本的な問題は,何より漢碑に関する資料の不足にある。石碑の資料はもっぱら刻字部分の拓本が主流である。資料も貧困で,現在のところスナップ写真程度のものが幾-74 _

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