鹿島美術研究 年報第18号
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⑱ 若き日のミケランジェロとマサッチォつか紹介されているにすぎず,漢碑の装飾意匠を観察するまでには至っていない。また実測数値も殆ど提出されていない。装飾意匠を扱うのならば当然,碑首(碑の上部),碑側(碑の側面),訣(碑の台座)等の細部の資料も必要となる。したがって今,漢碑の形式と装飾意匠を論ずるにあたり,実地調査が必要不可欠なのである。実地調査を経た詳細な様式研究によって,形式や装飾意匠を正確に把握し,それらの変遷を追うことが初めて可能となると思われる。また一方で,形状や個々のモチーフが何を意味するのかを模索することは,漢碑に込められた思想背景を考察する糸口となろう。以上のように漢碑の全容を明らかにすることは漢代の石刻美術を論じる上で不可欠であり,その成果は高い価値を有するものと考えられる。なお本研究は漢代の美術だけにとどまらず,その後の,漢碑の伝統の延長上にある南北朝時代の造像記や碑像を研究する上でも,有効な資料の提示が望めよう。したがって本研究は今後の中国仏教美術史の研究において重要な意義をもつものと自負する。研究者:早稲田大学文学部非常勤講師亀崎ギルランダイオ工房での絵画の修行はミケランジェロにとってシスティーナ礼拝堂の天井画を始めとする絵画制作に大いに役立ったに違いない。事実,トルナブオーニ家礼拝堂にギルランダイオがマリア伝と洗礼者ヨハネ伝を描いたときに,ミケランジェロも徒弟としてそこで絵筆をふるったとされている。また,彼はロレンツォ・デ・メデイチに可愛がられ,メデイチ家に住まわされ,そこでポリッィアーノを始めとする人文主義者とも親しくし,人文主義的素養を培う。彼の詩もその所産である。彼の初期作品には素描が挙げられ,それは,ジオットがサンタ・クローチェ聖堂のペルツィ家礼拝堂に描いた「福音書記者ヨハネの昇天」とマサッチオのサンタ・マリア・デル・カルミネ聖堂,ブランカッチ礼拝堂の「貢ぎの銭」,そして同聖堂におけるマサッチオの「サグラ(献堂式)」の模写である。そして,ミケランジェロの最初期の浅浮彫り「階段の幻聖母」は若き日の代表作であり,丁度ドナテッロの作風を見せている。「ケンタウロスの戦い」では,メデイチ・サークルの彫刻の指導者ベルトルド・デイ・ジョヴァンニによる「騎馬の戦い」からの影響がその群像表現に認められる。1494年のシャルル8世のフィレンツェ侵入に先立って,ミケランジェロはヴェネツィアに逃れ,75 勝

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