鹿島美術研究 年報第18号
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⑯ 戦後日本アヴァンギャルドに向かって—実験工房とハイレッド・センター一ボローニャに下り,当地のサン・ドメニコ聖堂の聖遺物廟のための大理石小立像「蝋燭立てをもつ天使」,「聖ペトロニウス」及び「聖プロクルス」を制作するが,特に聖ペトロニウスの像は15世紀フェッラーラ派のコズメ・トゥーラの聖人像やエルコレ・デ・ロベルティの聖ペトロニウス像をモデルにしていたことがわかる。1495年にミケランジェロはサヴァナローラが神権政治を敷いていたフィレンツェに戻るが,翌年ローマに赴く。その他で銀行家ガッリ家のために15世紀的な若々しさに充ちたバッカス像を制作する。その翌年1497年にフランス人枢機卿からピエタの制作依頼を受け,1498年から1500年にかけてそれを完成させる。マリアがキリストを横抱きにするという図像はドイツやフランスで一般的であったものであり,北イタリアに滞在した際に,ミケランジェロはコズメ・トゥーラやエルコレ・デ・ロベルティの同様のピエタを目にしていた筈である。以上の従来の研究成果に基づくならば,まずミケランジェロとメデイチ・サークルとの関わりが注目されようし,画家としての経験から,ジョットやマサッチォに目を向けるミケランジェロが「階段の聖母」でマサッチオのブランカッチ礼拝堂のフレスコ画の中のモティーフを取り入れたとしても自然であるし,それは自然を師と仰ぎ,その模倣に徹したのはジオットとマサッチオであったとするレオナルドの美術史観とも相通じている。更には,ボローニャの大理石小立像やかのピエタにおいて,ミケランジェロが北イタリアのコズメ・トゥーラやエルコレ・デ・ロベルティの図像に倣っていることは,ミケランジェロが15世紀の美術に如何に関心をもっていたかの傍証となろう。そして,それは歴史事象と無関係ではなかったのである。本研究の目的と構想は上述の通りであり,その意義はミケランジェロ及びマサッチオの研究史に寄与する価値を有する。研究者:コロンビア大学美術史考古学部大学院博士課程候補生意義.・日本現代美術史の分野では,多角的なアプローチを促すために通史の構築が避けられる反面,戦後の前衛活動の意義と目的を,記録・報告するのみでなく,当時の日本の社会状況や国際的背景も併せて詳細に考察する研究が,充分に提示されてい76 -手塚美和子

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