けられていないと言っていい状態にある。そうした中で,ヴァザーリがボッティチェッリ伝(1550年,1568年)で,最も多くの紙面を割いて賞賛している,この研究の根源的な素材である礼拝図《東方三博士の礼拝(三王礼拝)》も例外ではない。従って,この板絵を全面的に総合研究する意味は,フィレンツェの画家ボッティチェッリの芸術全体を知る上で重要なだけではなく,メデイチ家の肖像画を通して,イタリア・ルネサンス美術とメデイチ家の関係にも今までに研究されてきたものとは別の,新しい視点の発見および新しい解釈をも見出せるのではないかと考える。つまり,1970年代に米国の学者ラプ・ハトフィールドが,15世紀フィレンツェの東方三博士同信会に関する資料をフィレンツェの国立公文書館で発見し,公表したことによって,ボッティチェッリのこの礼拝図に,図像学的,また様式上の,新解釈に光があたりはじめたが,ところが一方,多くの疑問点が浮き彫りにされる結果となり本研究の意義はますます高まってきたように思われる。⑲ 唐代壁画墓における仕女図の様式的研究研究者:京都大学大学院文学研究科博士後期課程ー.本調査研究により唐代仕女人物画についての具体的な年代判断の基準を立て,壁画における仕女図をはじめ,女性陶桶・石刻線画女子像・伝世仕女絵画などの編年問題の解決に有益な指針を提供したいと思う。二.唐代仕女人物画の様式的考察により,仕女図だけではなく,唐代全ての人物画の時代特色と個別画家と画工たちの独自な個性を見出し,唐代全般と各時期における様式の変化につき,より正確に,客観的に把握することができると考える。三.もし私が行おうとしている唐代の仕女人物画の編年に科学的合理性があれば,東アジアにおける各地の仕女図との比較研究の基礎が立てられることになるといえる。とくに朝鮮半島と日本にはどの程度中国の影響をうけるか,どの程度各地の独自の伝統•発展か,という問題についても,解決の手掛かりをあたえることができるのではないかと考えている。縛江78 -
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