カトリックの宗教画家というこれまでのエル・グレコ像は,近年になって,1つは自筆で注釈を施したヴァザーリおよびウイトルウィウスの両著書の発見,もう1つはクレタ島時代の若描きのイコンの発見により完全に一新されようとしている。松原典子さんの研究は特に前者の,見出された自筆注釈のもとに組み立てられたエル・グレコの芸術理論という成果を踏まえ,今なお謎が多い晩年の神話画「ラオコーン」の制作意図をめぐっての大胆な試論である。同作はこれまで神への反抗と処罰という異教挿話に眼を奪われ,対抗宗教改革期のトレドにおける宗教的,あるいは政治的な抗争の文脈でしか解読されてこなかった。数年前より松原さんはこうした従来の見解に異を唱え,エル・グレコがイタリアで培ったとされる“パラゴーネ’'論に着目,「ラオコーン」が絵画の彫刻に対する優位性と,近代の古代美術に対する超克のメッセージだとする仮説を提起された。さらに今回の助成研究においては,同作は自らも実践していた彫刻的イメージの集大成であり,私流に言えば,絵画的彫刻に対して彫刻的絵画の実現ではないか,との結論に至っている。いまだ,そうした結論に不備は残しつつも,そこに至る視点は斬新でその推論は将来を大いに期待させる。検証も精緻で説得力があり,鹿島美術財団賞に相応しいと考える。引き続き,財団賞授賞者に次ぐ優秀者だが,これは,日本・東洋および西洋美術の分野から,次の4名が選ばれた。東京国立近代美術館研究員鈴木勝雄氏「水彩画の流行と風景の変容」,永青文庫学芸員小林祐子氏「近世漆工芸における中国趣味の受容と展開」,根津美術館客員研究員佐藤サアラ氏「明代中期正徳における回教文字文青花についての一考察ーその生産背景と景徳鎖窯業における位置」,武蔵大学非常勤講師吉川節子氏「グレヴィ政権下のサロンーモネ,そして五姓田義松」である。本日の研究発表会では,本来ならば財団賞受賞者2名と優秀者のうち2名に発表して頂くのだが,受賞者の須賀実穂さんが臨月のため,授賞式には出席されるが,発表を辞退された。このため,代わりに優秀者の一人である佐藤サアラさんに発表をお顧いした。なお,本日の研究発表では,財団賞受賞者松原典子さんをはじめ発表者の皆さんが演題を選考対象となった研究題目から多少変更されておられるが,これは,発表-14-
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