鹿島美術研究 年報第18号
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② 2000年度助成金贈呈式2000年度「美術に関する調査研究」助成金贈呈式は,第7回鹿島美術財団賞授賞年1月29日の助成者選考委員会における選考経過について説明があった後,原常務(2) 研究発表会① 「水彩画の流行と風景の変容」内容に合わせてのことと思われる。最後に,選考に関する全体的な印象を述べる。選考対象となった報告書のほとんどが体裁ならびに内容とも,質的に著しく高く,学術論文の域にまで達していると選考委員全員が評価した。このため,選考ぱ慎重の上にも慎重に行った。しかし,私個人としては,近年助成金の贈呈をうける日本・東洋美術の若手研究者が目立って増加する一方,西洋美術分野で助成金を受ける研究者の数が伸び悩んでいるような印象を受けた。今後,西洋美術分野の研究発展のためにも,この分野の若手研究者に大いに期待する。式に引き続いて行われ,選考委員を代表して,高階秀爾・東京大学名誉教授から2000理事より助成者に対して助成金が贈呈された。本年度の研究発表会は2000年5月19日鹿島KIビル大会議室において第7回鹿島美術財団賞授賞式ならびに2000年度「美術に関する調査研究」助成者への助成金贈呈式に引き続いて,財団賞受賞者とそれに次ぐ優秀者である計4名の研究者より次の要旨の発表が行われた。研究発表者の発表要旨:発表者:東京国立近代美術館研究員鈴木勝雄明治から大正にかけて水彩画が流行し,水彩画専門の画家が多数輩出したことは,日本の近代美術史の一挿話としてしばしば言及される。かつて矢代幸雄は,この水彩画の流行を,日本人が西洋絵画を理解するためにたどらざるを得なかった「廻り道」として捉えたが,確かに,穏便な自然描写にとどまった当時の水彩画家の作品が,表現主義的な傾向が高まる大正以降,急速にその魅力を失っていったことは事実である。しかしながら,日本の近代美術史の文脈で水彩画の限界を指摘したところで,ではなぜ明治30年から40年代に,水彩画はかくも全国的な流行をみせたのかという疑問には-15

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