そこで本発表では,まず津軽信寿との関係から創出された破笠作品,『独楽徒然集』及び「柏木菟意匠料紙箱・春日野意匠硯箱」(出光美術館)の分析作業を通して,破笠と津軽信寿の中国明清文化受容の様相を提示する。つぎに,津軽家文書のうち「弘前藩庁日記」(弘前市立図書館)の調査・分析により得られた,津軽家における破笠の制作活動の実態,破笠作品が享受された「場」や享受していた人々などに関する報告をおこなう。『独楽徒然集』は津軽信寿が致仕の記念として享保16年(1731)に上梓した詩句集で信寿をはじめ津軽藩士が作った漢詩,和歌,俳句,狂歌に添えられた木版墨刷の挿絵を破笠とその息子や弟子,英一蜂が作画している。『独楽徒然集』は近年では弘前市立博物館に寄託される個人蔵本のみにしか確認されていなかったが,今回新たに英国・ケンブリッジ大学図書館の所蔵本が確かめられ,両者の比較検討をおこなったところ,ケンブリッジ本のほうがより整った善本であることが判明した。また本書の挿絵を分析した結果,『八種画譜』などの津軽家が所蔵する中国製画譜からの図様の借用がおこなわれていることが明らかとなった。さらに挿絵には青銅器や象などの中国イメージの図像も散見され,日本の古典人物図,当世風俗図,名所風景図,花舟疏菜図,器物図などとともに,「和漢」,「古今」,「雅俗」といった実に様々な画題によって構成されていることも確認できる。これは享保期にさかんに出版される絵入配所の挿絵ともに共通する特色であるといえる。このような「和」と「漢」のイメージを調和させることにより,新たな表現世界を追求する姿勢は,松尾芭蕉が俳諧の変革を目指しておこなった漢詩文受容の方向性とも轍を一にするものであると考えられる。津軽家伝来の「柏木菟意匠料紙箱・春日野意匠硯箱」は,一見すると「柏に木菟」「春日野の鹿」という日本の伝統的意匠にもとづく作品と理解される。しかし,より詳細な分析をおこなったところ,本作品には中国吉祥意匠をも読みとることができる機知的な仕掛けが用意されており,「和」と「漢」のイメージを調和させるという重層的な意匠構成がとられていることがわかった。このような「和」と「漢」の調和は,意匠構成のみにとどまらず,蒔絵,螺釧,金貝など日本の伝統技法に,中国製漆器から影響を受けたと思われる「やきもの象嵌」を組み合わせるという漆芸技法においても実現されている。本作品も前述した『独楽徒然集』と同様,中国製版本や中国製漆器など最先端の中国明清文化から影響を受けつつ,それらを日本の伝統に調和させ,より親しみやすい形で取り込み,新たな表現を目指そうとする,破笠と信寿の試みの一-18 -
元のページ ../index.html#38