端と捉えられる。破笠や信寿とほぼ同時代を生きた松尾芭蕉や柳沢棋園,影城百川らの中国文化受容にも最先端の明清文化から影警を受けつつ,それらを日本の伝統に調和させ,新たな表現を求めようとする姿勢が看取される。つまり,『独楽徒然集』,「柏木菟意匠料紙箱・春日野意匠硯箱」は,17世紀末から18世紀前期にかけての中国明清文化受容のありかたを探るうえでも大変貴重な作例といえるのである。一方,「弘前藩庁日記」の分析からは,津軽藩における破笠の制作活動が印籠,聯,高欄欄間,袋戸,絵画の制作,細工物の修復,藩の職人の育成までをも手掛ける多様なものであることが明らかとなった。また,破笠の細工は津軽藩の内部で享受されたものではなく,他の大名家や江戸幕府の幕臣,公家への贈答品としても利用され,さらに大名や幕臣を招いた饗応や茶会の席では,宴席を盛り上げるために行われる席画や席書と同様の効果をねらって,破笠細工が披露されていたことも確認できる。「日記」には伊達吉村や今大路道三,有馬頼憧,公寛法親王など芸術や学問に高い関心を寄せる人物の名前が散見されることから,破笠が創出する細工物が津軽家周辺の芸術愛好大名,幕臣,公家たちの持つ,知的好奇心,芸術的欲求を十分に満足させうる贈答品,鑑賞品としての役割をも担っていたと考えられる。破笠作品を通じて結ばれる,津軽家とその他の大名,幕臣たちのサロン的交流は,18世紀後期に博物学や蘭学など芸術や文学,学問を媒介として,実に様々な形で結実していく大名サロンの先駆的例として,積極的に評価されるべきものと考えたい。③ 「明代中期正徳におけるアラビア文字装飾青花についての一考察ーその生産背景と景徳鎮窯業における位置ー」発表者:根津美術館客員研究員佐藤サアラ研究の目的と成果様に持つ青花が少なからず焼かれており,そうしたものは前後の時代には見られない特殊なものである。従来このアラビア文字装飾の青花については,正徳に特徴的な製品として指摘されるにとどまっており,詳しく論じられることはなかった。本研究は中国の磁器にアラビア文字の装飾を施すという極め明時代中期の正徳期には,アラビア文字を装飾文-19 -
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