鹿島美術研究 年報第18号
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吾"五ロ±泊矛④ 「エル・グレコ作《ラオコーン》再考ーエル・グレコにおける彫刻という観点から一」字装飾の方に六字銘を付したというところに,アラビア文字装飾の製品が正徳において特別な存在であったことがうかがわれる。この生産背景に,本研究ではイスラム教徒の多かった宦官の存在を見出している。宦官は紫禁城内に居住し,皇帝の公私にわたる用件を果たして絶大な権力をふるった特殊な存在であるが,中でも正徳はその勢力が甚だしい時期であった。宦官の勢力は景徳鎮にも及んでおり,その焼造管理に監陶官として直接関わっている。ところが,この正徳は宦官がその意志を磁器焼造に反映させることが可能であった時代であり,アラビア文字の青花はそうした背景のもとで焼かれたものであった。アラビア文字装飾の青花に共通するもう一つの特徴,すなわちアラビア文字という異国的要素を装飾の前面に抑し出しながら,その器種が中国国内でしか用途を持ちえないようなものであるということを考えあわせると,これらは輸出目的のものではなく,御器(皇帝使用の器)ではないが,宮廷ご用の器として紫禁城に居住する宦官イスラム教徒が日常用具として求めたものと考えられる。そこに付された六字銘が,元末・明初以来の伝統的官窯製品と共通しているという現象は,宦官イスラム教徒の権威主張の表象とも見える。こうした正徳に見られるこの六字銘と四字銘の混在は,この後,皇帝款の使用が曖昧になっていく時代の前兆ともいえるものである。すなわち,皇帝款銘の使用が厳格に御器に限られていた初期官窯の時代と,それらが民窯でも濫用されるようになった後期の間にあって,中期的様相を示すものとしてとらえられるものである。明時代中期の景徳鎮についてはまだ明らかにされていないところが多いのが現状であるが,今後の官窯址からの発掘資料の増加によってさらに詳しく解明され,明代陶磁史の中に位置づけられることを期待している。本研究はそうした中期官窯業の様相を探る一つの試論として提示するものである。発表者:早稲田大学大学院文学研究科博士課程松原典子エル・グレコ最晩年の《ラオコーン》(ワシントン,ナショナルギャラリー)は,2 文献資料による考察21 -

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