鹿島美術研究 年報第18号
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ず,特に古代とミケランジェロの彫刻を研究し,しかも単なるそれらの盲従に陥ることなく自らの作品に同化していった。そしてその際に役立ったのが,ヴェネツィアでの修行時代以降,様々な彫刻の実見や版画を基に作られ蓄積されていった小型彫像だったと思われる。一見非現実的な印象を与えるエル・グレコの人物が,実は決して―次元性,彫塑性を失ってしまっていないのは,その独特な様式がこうした堅実は研究に支えられたものだったからであろう。このことは,エル・グレコ旧蔵のヴァザーリの『美術家列伝』とウイトルウィウスの『建築十書』に残された自筆注釈によっても裏付けられる。ヴァザーリヘの注釈では,「絵画と彫刻は自然の描写,とりわけ人体の描写という共通の目的を持つ」と述べるとともに,自ら,絵画と彫刻に携わり,両方を「愛好してきた」ことを告白しているのである。このようなエル・グレコの彫刻への関心とその絵画制作への適用を考慮するならば,晩年に突如として描かれた〈ラオコーン》の特異性は薄れてくる。堅固な肉体表現が実現された《ラオコーン》はエル・グレコが長年にわたって彫刻研究の助けを借りつつ追求していた絵画における人体描写の集大成なのであり,そうした意味でエル・グレコ芸術の発展過程の週末を飾る作品として正当に位置づけられるのである。《ラオコーン》が特異であるとすれば,それはここではエル・グレコの造形的関心が,主題的関心と一致しているという点にあると言えよう。これに対して,発表者は過去の研究において,ウイトルウィウスヘの注釈から窺える「同時代(16世紀後半)の美術による古代美術の超越」と「彫刻に対する絵画の優位性」に対するエル・グレコの確信を根拠に,彼が古代美術の傑作《ラオコーン群像》と同じ主題を彫刻ではなく絵画によって表すことによって,その確信を証明してみせたのではないかと考えた。これはエル・グレコの彫刻の重視と一見矛盾するようではある。しかし初期ルネサンス以来のパラゴーネ(諸芸術比較論争)において絵画に軍配を上げたエル・グレコの理由は,美術家にとって最大の困難を「色彩を模倣すること」だと考えるからであり,その色彩の模倣を含むがゆえに絵画は形態しか扱わない彫刻よりも上位に置かれ,彫刻をも包含する「普遍的芸術」となるというのである。このことからすれば,エル・グレコが絵画制作に彫刻や彫像研究を採用したことも当然の成りゆきだったと言えるだろう。-23

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