⑨ 「クロアチアのアポクシューオメノス」等の研究⑩ 土田麦倦初期の作品についての研究ある。いま,こういった視点から,文献資料,図像資料,現地調査をあわせて総合的に研究すれば,上記の目的の達成が期待できるのではないかと考える。研究者:ローマ第三大学研究員羽田康古代ギリシア彫刻の研究資料は,その大半が,ローマ時代に大量に制作された大理石によるコピーである。複製がどれほど原作に忠実であるかの判断は,様式論に常につきまとう,主観的で不安定な要素である。これに対しブロンズ彫刻は,制作技術の調査と合金の分析によってほぼギリシアとローマの区別がつくばかりか,さらに内部に鋳造土が残存している場合には,その分析によって制作地を同定することも可能である。しかしごく最近,同一のタイプのブロンズ彫刻が二つ知られる例が二組出現した。一つは1997年に発見され,1999年に陸揚げされた「クロアチアのアポクシューオメノス」と,1896年から1901年にかけて発見された「エフェソスのアポクシューオメノス。」もう一つは1994年と1996年に修復結果が公刊された「マフデイアのヘルメ柱」と,1979年に購入された「マリブのヘルメ柱」である。これらはいずれも間接失蝋法によって制作されたブロンズ彫刻の「原作」なのだろうか。二つのうち一方が「原作」であり,もう一方は時代を異にする「コピー」なのだろうか。本研究ではこの二組の彫刻タイプに焦点を絞り,古代地中海世界の大型ブロンズ彫刻研究における新たな論点を開拓したい。研究者:関西学院大学大学院研究員上田田麦倦は明治時代から大正・昭和初期にかけて新しい日本画の創造を目指して活躍した京都画壇の旗手であった。昭和11年50オという若さで亡くなったため,画業半ばという印象は拭えないのであるが,その50年の緊張と努力の制作は,密度が高く,常に近代日本画の行くべき方向を先駆けて見据えていたと言っても過言ではない。そうした画家土田麦倦の初期の画業を取り上げることによって麦倦の一生の画業を支え文-40 -
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