鹿島美術研究 年報第18号
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⑪ 明治期の博覧会出品用工芸図案の調査・研究た学習期の意味を明らかにしたい。現在まで麦倦の画業の出発点は,画壇に華々しくデビューした《春の歌》《罰》《徴税日》のいわゆる初期の三部作とされてきた。しかし,それ以前に師・武内栖鳳に師し学習を重ねた時期があった。また栖鳳門入門以前には,わずかな期間であったが鈴木松年にも師事し「松岳」という号で作品を残している。また16オまで過ごした故郷佐渡での少年期の習作も調査によって残されていることがわかってきた。今まで,こうした習作は本作とは別に扱って研究の対象とされてこなかった傾向があるが,こうした習作も含めて「麦倦の初期」学習期を考察することは麦傷の以後の画業展開を検討する上でも重要な意味を持つと思われる。そうした習画の基礎を理解した上で麦倦の画業の全貌を改めて見直すことが,今回の調査研究の到達すべき目的である。研究者:東京芸術大学大学美術館講師横溝廣明治8■18年に作成された「温知図録」に関する共同研究によって,開国して間もない日本の政府が自国の優れた工芸品を諸外国に見せるために描いた4000枚を超える図案の中から実際にその図案に基づいて制作され,現存する工芸品や影聾を受けている作品が日本のみならず外国にも確認されており,関連する展覧会も各地で開催された(平成11年には石川県立美術館開催「工芸作品と図案ー創造への思考ー」や瀬戸市歴史民俗資料館開催「陶画展ーやきものに華ひらく絵画ー」,平成12年に佐賀県立美術館・高田市美術館開催「明治期デザインの先駆者一納冨介次郎と四つの工芸・学校一」など)。これだけ成果があげられた一つの理由は,その4000枚以上の図案をすべて,印刷物ではコスト的に不可能であった規模のカラー画像をCD-ROMのデジタル画像という形で公開したおかげである。それは取捨選択せずに網羅的に公開することによって,より広範囲の研究の関連づけを可能にしたからであるといえよう。次は「温知図録」以後の状況が混沌とした空白として問題となり,平成11年度〜13年度科学研究費補助金による「明治・大正期における図案集の研究」(代表者:樋田豊次郎,申請者は研究分担者の1人)において,この空白期を埋めるべく研究が行われているが,主に刊行された図案集を対象とし,ここに取り上げる図案群は対象に含まれない。-41

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