鹿島美術研究 年報第18号
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⑲ 古代から中世への過渡期と福岡平野の仏教彫刻が,明快に説明されうるのではないかと考える。スペイン絵画に比べると,彩色彫刻についての研究は非常に遅れている。しかし,当時は画家の分野であった彫刻の彩色がほとんど研究されていない現状は,スペイン絵画研究の上でも改善されなければならない。また,黄金世紀といわれる時代のセビーリャで,教会や修道院に絵圃以上の規模で作られ,聖週間には山車に載せられて街中を移動しつつ礼拝された彩色彫刻が,少なくとも大衆にとってはある意味で絵画より重要な聖像であった事実は見逃せない。彫刻,金地装飾,彩色など,さまざまに分業化されていた彩色彫刻の具体的な制作過程をはじめ,制作の背景について研究すべき点は多い。マルティネス・モンタニェースなど,巨匠といえる彫刻家を除けば,個々の彫刻家に関する研究もまだ少ない。同じように,従来はイタリアの美術理論の焼き直しと見なされがちなスペインの美術理論の解釈についても,異なる美術環境のもとでの取捨選択されたテーマとその活用という観点から,再考を必要とするだろう。今回の研究を通じて,これら未開拓の部分に光を投じてみたいと思う。研究者:九州歴史資料館学芸員井形日本彫刻史の主役は,奈良や京都に拠点を置いた優れた仏師たちが造像した優品であろう。しかし,そのような作品,あるいは仏師自身からの影署を受けながら,各地域で行われてきた造像活動と,その中から生み出された作品についても考えてゆかなければ,彫刻史が完成することはない。また,特に今回対象とする,平安時代から鎌倉時代へと移行してゆく時期の福岡平野は,博多湾岸地域が盛んな対外交流の窓口となるなど,個性的で華やかな姿を見せる重要な地域だったと考えられる。当該期の福岡平野について考えることの意義は深い。もっとも彫刻史においては従来,九1'1'1地方においてこの時期は,造像活動に関しては空白的な時期だという位置付けがなされてきている。しかし私は,福岡平野に関しては先に述べた環境の中にあって,個性的な展開を見せていた可能性が否定できないと考えている。今回はこのことを検証してみたいのである。当該期の福岡平野における造像活動の実態を探ることは,日本彫刻史の内容をさら進-48-

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