本研究では,個別研究を綿密かつ客観的に行うことを通じて,日本近代絵画全体に対する新たなパラダイムを提示することができればと考えている。⑮ 仏教美術生成環境としての鳥羽殿とその歴史的変容に関する研究研究者:京都大学大学院工学研究科助教授山岸常人院政期に白河・鳥羽上皇が平安京南郊に造営した鳥羽殿は鴨東の白河と並んで,平安京に新たな機能を付加するものとなった。つまり白河院政期には後院として上皇を中心とする遊興や政務の場であり,鳥羽院政期には白河上皇の墓所の機能が加わる。さらに淀川を介して西国への交通の要衝ともなっていた。こうした機能の内,墓所の機能は白河に次ぎ近衛・鳥羽が鳥羽殿内の塔に葬られることによって,強化され,追善の法華三昧と密教法会の空間として近世まで継承される。また交通の要衝としての機能は鎌倉時代以降も幕府の強い関与を受けながら維持されると共に,周辺所領が鳥羽殿領化し,物流管理機能の強化に寄与した。一方,鳥羽殿内には五つの寺院があり,仏堂や塔等の建築と仏像•仏画等の仏教美術作品が所蔵され,勝光明院宝蔵には多数の天下の名宝が集積された。また壇所が設置されて密教僧が伺候し,密教法会が絶えず勤修される場でもあった。すなわち上記のような政治・経済的背景の下で,仏教美術の生成される空間が鳥羽殿であった。しかしながら鳥羽殿の実態や,その宗教的・文化的位置付けの解明は,同時代史料が極めて限られるていることもあって,杉山信三や中野玄三などの研究成果以上に充分な展開がはかられていない。近年,都市史的観点からの鳥羽殿の評価について識論があるが,なお充分ではない。発掘調査の成果も充分な公表がなされておらず,文献資料の欠を補完する状況には至っていない。以上のような認識から,鳥羽殿関連史料を再度洗い直すと共に,唯一院政期以来の伝統と阿弥陀如来像などの美術品を伝える安楽寿院に所蔵される中・近世史料を網羅的に調査することによって,鳥羽殿の近世に至るまでの性格とその歴史的な変遷を解明し,院政期に白河と並ぶ突出した仏教美術生成の場としての鳥羽殿の歴史的・文化的位置付け,さらには中世以降のその変容に伴う仏教美術の継承された空間の変容について,解明を試みるのが本研究の目的である。-53
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