鹿島美術研究 年報第18号
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⑳ 高田敬輔研究研究者:学習院大学大学院人文科学研究科博士後期課程山本ゆかり18世紀中期から後期にかけての時期は,多くの著名な画人を排出するなど,文化的に興隆したことで知られるが,その興隆の基盤を築いた18世紀前期の画壇状況は解明されていない部分が多い。そこで,18世紀前期の画人・高田敬輔の作品と伝記を調査し考察することで,当時の画壇状況の一端を明らかにし,その後に続く18世紀中・後期の文化状況を考察するための手がかりとしたいと考える。私は「18世紀の京都・大阪を中心とした風俗画研究」を全体の構想としてもち,大阪で美人画で一家を成した月岡雪鼎に大きな関心を寄せて修士論文のテーマとした。しかし,雪鼎をはじめとした関西での風俗画制作の状況を明らかにするためには,鼎の師匠である敬輔の美術史上の位置付けを試みることが不可欠であると思い主つた。敬輔は将軍の御前での揮嘔が伝承され,門人も多く生前の画名の高さが窺われる。没後に門人の手で編纂された『敬輔画譜』は,敬輔の師・狩野永敬とさらに狩野山の縮図で結ばれ,敬輔一門が京狩野への帰属意識を持っていたことが示される。敬輔とその画系の実態を解明することは,京狩野から派生する狩野派系諸派の様相を明かにし,さらに高弟・雪鼎の風俗画制作を敬輔の画系のなかで捉え直すためにも,意義深い研究になると考える。⑳ 与謝蕪村の宝暦期・明和期における屏風絵制作に関する調査研究研究者:関西学院大学大学院文学研究科美学研究室博士後期課程従来の研究では,蕪村の画業はとくに謝寅描きの小品を中心に語られることが多かったが,屏風という大画面に描かれた作品については,重視されてこなかったように思う。本研究では,蕪村の作圃期における初期のころから描かれ続けている屏風絵のなかでも,特に宝暦後期・明和初期の屏風に注目することによって,蕪村画の新しい解釈を試みたい。宝暦後期・明和初期に数多く制作された屏風は中国画の影響を受けた様式で描か岡村知子-56 -

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