鹿島美術研究 年報第18号
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れ,その時期以前の作品とは大きく異なっている。つまり,この時期の屏風絵制作は蕪村の画家としての出発点となったと考えられ,彼の画業全体において重要な意味を持ってくるのである。この時期の屏風絵作品についての今までの研究では,蕪村のために開かれたいわゆる「屏風講」の伝承によって説明されることが多かったが,本研究の目的は,この一群の初期屏風絵作品と屏風講伝承を「画家と受容層」の関係のなかで,もう一度捉え直すことである。屏風講のような組織もさることながら,幾点もの屏風絵が描かれたということは,蕪村の描く宝暦期・明和期の作品に見られるような中国画的表現に共鳴しようとする認識が当時の風潮として一般に高まりつつあった,ということを意味する。つまり,この時期の屏風絵作品は蕪村とその周囲が中国画というものをどのように受け止めていたのかを知り得る直接的な資料であるといえるだろう。蕪村の初期屏風作品を手がかりに,画家と受容者と関係を通して当時の京都で中国画,さらには「文人画」の受容の在り方を検証することが,本研究の目的である。⑳ 大谷探検隊収集墓葬美術資料のリスト整理と構図•原形の復元研究者:東海大学文学部助教授片山章雄大谷探検隊の収集品の研究は,特に中央アジアにおける仏典や古文書の研究を中心として進展し,その分野ではかなりの成果が公表・蓄積されていて,敦燻や吐魯番地域の仏教や歴史地理を軸としてそこで展開された文化様相の考察には目を見張るものがある。翻って考古・美術資料については,収集が行われた現地の遺跡・遣構を軸とする都城や石窟などの研究も,研究者が現地に密着した方法や連携を充実させ進展してきたといえる。ただし,例えば吐魯番の広大な古墳群から出土した6■ 8世紀という高昌國時代から唐代にかけての重要な時期の美術資料は,探検隊収集時の記録の不備や収集品の分散の問題があって,吐魯番の現地に密着した作業からぱ必ずしも判明しない部分が少なからずある。ここに大谷探検隊収集墓葬美術資料の扱いの困難さがあると考えられる。分散した品々は,吐魯番の墓葬美術資料に限り流転して個人蔵になったものを除外すると,東京国立博物館と龍谷大学図書館にある程度の点数が,さらに韓国国立中央博物館と中国の旅順博物館に相当数が所蔵・保管されている。14年前,韓国国立中央博物館が旧総督府庁舎へ移転開館した時には,多くの研究者-57-

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