仏教美術,なかでも必ずしも数量が恵まれているとは言えない奈良時代の浄土美術を考える上での材料を提供するものと考えている。また,今回の研究テーマは個別的ではあるものの,美術史と考古学という日本では別分野に区分されがちの学問領域をつなごうとする試みでもあり,その点にも今後の研究の在り方として意義を有するものと考える。日本の大学の専攻分野を見れば,明かなように,美術史と考古学は乖離しているのが現状だと思われる。もちろん,美術史研究者が考古学の出土資料を扱うことは,発掘された壁画の類についてはあるものの,それ以外ではほとんどないに等しい。しかしながら,同じ物質資料を扱って,人間の歴史を明らかにしていくならば,当然,両者を総合した研究が行われてしかるべきである。現在,美術史の分野では,従来美術史の対象とされてこなかったものにも焦点を合わせていこうとする動きがあるのは周知の通りであり,その点でも本調査・研究は今後模索されるべき重要な方向である。さらに,本研究では,文献史料・建築資料などをも加えて検討する予定である。これまでの研究はともすれば,個別分野に拘束されがちであるが,それらを超えて総合的な視野を設定することにより,これまで見えていなかった部分を浮かび上がらせるつもりであり,その点にも意義と価値が見出されるものと考えている。⑫ 寛政度内裏造営における障壁画担当絵師の選抜過程とそこに見られる意図の研究研究者:早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程福田道宏内裏造営は源頼朝以来,武家政権が朝廷の経済的庇護者であり,朝廷に代わって政治を行う必然があると証明する場であり,徳川政権にとっても他の有力社寺の造営等と並び,幕府の威信を目に見える形で,朝廷と広く社会に知らしめる絶好の機会であった。また,近世の内裏は現実政治の場とは異なるものの,前近代の政治に不可欠の要素「儀式・典礼」の場であり,そこを飾る障壁画も当然,目を楽しませる以外の何か,政治性を担っていたと言ってよい。これまで政治史では,そうした儀礼に関わる絵画等のもつ政治性への視点を欠いていた。伝統権威の再評価と幕府中心の政治の再序列化を目指し政治理念とした定信が,寛政度内裏造営にあたって,何を意図し,如何に対処したかと,これまで等閑視され-59
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