⑬ マチスと写真てきた障壁画の制作と絵描きの選抜過程の検討を通じ,明らかにする。その際,政治史・美術史に欠如しがちな絵描きと絵画作品の担う政治性という視点により,近世の絵描きに何が求められたか,政庁や儀礼空間を障壁画で飾る事の意味を,具体的な事例の中で考察する点が本研究の特色の第一である。第二に,江戸狩野の不参加=幕府御用絵師の衰退を示すと共に京都画壇の活況に繋がる一大転機,という定説を再検討,再評価する点にある。狩野派衰退説は主に現存作品の現在の評価と,当時,狩野派を飽き足りないと感じていた在野の儒者や南画家の言説とに拠っている。既に江戸狩野不参加については,西和夫(建築史)・武田恒夫(美術史)が器府の財政難が理由と指摘し,松尾芳樹(美術史)は宮廷絵所土佐家が造営初期から関与した事を理由に挙げている。但し,西は政治史の成果を踏まえ,京都の絵描きに担当させたものも,幕府の政治的譲歩と捉える。本研究は朝廷・幕府・絵描き3者の豊富な文献史料により,何故ほぼ全ての障壁画を幕府御用絵師でなく京都の絵描きが担当したのか,という疑問に答え,その実態に迫る事ができる。また,寛政度以降の画壇の状況を通覧するなら,この造営は「一大転機」ではあるものの,この後,京都画壇の序列・秩序を有名無実化し,画壇が或る種の混乱に至る,正とも負ともとり得るものであることを示すことが出来る。研究者:東京大学大学院総合文化研究科博士課程近藤アンリ・マティスの写真使用を対象とする本調査研究は以下のような意義を有すると考える。第一に,マティスはその経歴のかなり早い段階から写真に興味を示し,これを活用していたにもかかわらず,従来その実態が本格的に取り上げられることは稀であった。この意味で本研究はマティス研究の中に残されていた重大な欠落部分を補完する役割を果たす。第二に本研究は,マティスと後代の芸術家たちとの関係を新たな角度から考察することを可能にする。1950年代以降,とくにアメリカにおいて,芸術家が制作を行う様を写真や映画を用いて撮影・公表することが非常に頻繁に行われた。本研究により,こうした傾向の先駆者としてマティスを位置付け直すことができるようになるのであ学60 -
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