いなかった。それは「穴」が,研究者によって確認されているものの,作品の図像プログラムに関係する特別な意味を持つ,と考えられていなかったためである。《ブラデリン祭壇画》については,オステン,バンドマンらが,ーモチーフとして考察している。しかし,それらの論証は,作品全体における意味という点では不完全であり,ロヒールの最新の全作品集を出版したデ・フォスは,決定的な解釈が存在しないことを指摘している。昨今初期ネーデルラント絵画は,イタリア・ルネサンスとの相互影響について言及されている。当時イタリアではネーデルラントの宗教画が高価な値段で取引されていた。もちろん,ネーデルラント絵画は,イタリア・ルネサンスとの相互影響について言及されている。当時イタリアではネーデルラントの宗教画が高価な値段で取り引きされている。もちろん,ネーデルラントの画家たちが,イタリアに旅行したのは言うまでもない。しかし,「穴」のモチーフ,特に「降誕の穴」に関しては,イタリアではほとんど見られない。申請者はこの理由として最古の作例である《ブラデリン祭壇画》の図像プログラムが特殊なものであったためと推定している。この仮説を立証するため,《ブラデリン祭壇画》の社会背景を探る。同時に「穴」図像の後世への伝播を詳細に検討することによって,なぜ北方の絵画に「穴」が描かれたのか,そしてその役割が何であったのかを明かにしたい。このように,初期ネーデルラント絵画に描かれた「穴」は,極めて注目すべきモチフであるにも関わらず,現在この領域の専門的な研究は,内外を通して皆無である。すなわち申請者の研究は,初期ネーデルラント絵画研究において重要な一石を投じることが可能であると考えている。来年度,申請者は《ブラデリン祭壇画》の「穴」の意味をより明確にし,その背景にある画家や発注者の意図について,一層の考察を進めていくつもりである。将来的には初期ネーデルラント絵画に見られる「穴」表現の全体との関連性を検討することを目的としたい。-67 -
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