鹿島美術研究 年報第19号
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様に熱中していたことは有名であるが,棚橋光男氏によると(『後白河法皇』講談社選メチェ平成7年),今様とは院にとって「神仏との交感の回路,『神感』を媒介として至上仏との一体化を感得する方便であった」と指摘されている。更には,今様を奉納するという「法楽」を後白河院がしばしば催していたことも指摘されている。これらのことを踏まえて,後白河院の信仰活動や『梁塵秘抄』から読み取れる院の思想を見直し,光長周辺絵巻物群と院との結び付きを考えるという新たな視点からの考察を行い,絵巻物企画者としての後白河院について考えて行きたいと思う。⑲ ボッティチェッリの後期作品研究研究者:東北大学大学院文学研究科助手石澤靖典「アペレスの誹謗」の主題は,15世紀にルキアノスの写本がラテン語や俗語に翻訳されたことで急速に広まった。とりわけアルベルティが『絵画論』の中で絵画における美しい構想の範例として紹介したことから,次第に画家の間でもその主題の意義が認知されるようになった。ボッティチェッリの『アペレスの誹謗』は,1490年代前半に制作されたと考えられているが,ルキアノスの原典やアルベルティのテキストには存在しない要素,すなわち背景に壮麗な建築物が配されている点が特異なモチーフとして注目される。本研究ではまず手始めにこうした建築的背景の源泉として,フランチェスコ・デイ・ジョルジョ・マルティーニやジュリアーノ・ダ・サンガッロとの関連性を検討する。これらの同時代の建築家は,古代遺跡の調査に基づく多数の素描や論考を残しており,とりわけジュリアーノ・ダ・サンガッロの素描帳にはボッティチェッリの建築モチーフと同様の建造物が見出される。また,ボッティチェッリとこれらの建築家が,実際に仕事面でも親しく接触していたであろうことが文献資料からも示唆される。こうした同時代建築家とのつながりをできるだけ浮き彫りにするのが本研究の目的の一つである。次にこれらの考察を踏まえた上で,『神曲』素描における建築的要素を調査する。というのも,『神曲』素描群の冒頭に付された「地獄の断面図」からは,ブルネッレスキ以来のフィレンツェ建築家の共通の関心事をボッティチェッリもまた共有していたであろうことが推定されるからである。ボッティチェッリは1481年に出版されたクリス-76

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