鹿島美術研究 年報第19号
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トフォロ・ランデイーノ註解による『神曲』の銅板挿絵の下絵制作を担当したことが既に知られているが,そのランデイーノが註解者による序文の一部として「地獄の位置形体,尺度(sito,forma e misura dello Inferno)」と題する論考を付していることはもっと注目されてよい。この論考では,ブルネッレスキの弟子でやはり建築家であったアントニオ・マネッティによる,数学的・科学的な『神曲』読解が紹介されている。すなわち,マネッティがいかに神曲各歌の分析に基づいて地獄の空間的見取り図を再構成したかが語られ,その位置関係や大きさに関する詳細な計算結果が報告されている。ここで,従来の画家が地獄の全体図を描く際に,上からの視点による円形ダイヤグラムを用いていたのに対し,まさにこのボッティチェッリの素描に至り,初めて真横からの,すなわちすり鉢型の「断面図」という方式が登場したことが注目される。こうした地獄の新たな空間表現に,同時代の他の建築家も無関心でなかったことは,ローマのヴェリチェッリアーナ図書館に残るジュリアーノ・ダ・サンガッロの素描入り『神曲』からも論証される。「断面図」という建築学的な視点をとることで,ボッテイチェッリは,同時代の図像表現上の問題と敏感に係わっていたことを顕わにしているといえる。以上の点から,『アペレスの誹謗』における建築モチーフにおけるのと同様の人的・芸術的交流が,同時期に制作されたと考えられる『神曲』挿絵からも抽出されるのであり,こうした思想圏域において,従来サヴォナローラ的側面が強調されがちであったボッティチェッリの画風変化を新たに捉え直すことができるのではないかと思われる。⑮ イラン・サファヴィー朝陶芸における意匠の系譜—ケルマ_ンの下絵付タイルを中心に一一研究者:上野学園大学国際文化学部専任講師阿部克彦サファヴィー朝期の陶芸は,作例の多くが中国陶磁の模倣であることから,従来中国との関係において論じられることはあっても,写本芸術や染織において独自の様式を生み出し,オランダをはじめとするヨーロッパ美術及びインド文化の影響を反映したサファヴイー朝の美術における位置付けは,未だその端緒についたばかりである。本研究の課題とするケルマーンの建築装飾タイルは,中国陶磁と同様に,透明釉の下に彩色を施す下絵付けの技法を用いており,同時代の写本絵画にも見られる,自由_ 77 -

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