で軽快な筆致で描いた,極めて絵画的な性格を有している。これは,イスラーム陶器に共通して認められる特徴の一つである。ケルマーンの陶芸は,17世紀初頭のサファヴィー朝の宮廷美術様式と多様な外来文化の接点を示し,なおかつイスラーム美術の特質のひとつである,高度な装飾性を再構築しているのである。このような,多様な文化的要素を取り入れながら形成されたイスラーム美術の装飾文様の展開は,イスラーム美術の基本的特徴の一つであり,その発展プロセスを明らかにすることで,イスラーム美術研究における一つの方法論を提示する可能性を含んでいる。申請者が今回課題とするケルマーンの陶芸研究は,17世紀初頭以降,オランダ東インド会社を主体とするアジア交易の発展を契機として,海上の交易路に沿った地域をお互いに結ぶネットワーク上で,同時に多様な文化が混合することによって生まれた,いわば複合的な造形活動の成果を示すものである。また同時に,それがイスラーム世界の美術がもつ包括的な性格に由来したものであることから,本研究を機に,研究対象をインドや地中海地域にも広げることで,イスラーム世界の地域間の交流と,芸術の多文化的様相に注目し,長期的には,17世紀におけるヨーロッパから東アジアに連なる東西交易路上の美術史の確立を目標とするものである。⑮ 室町時代における狩野派肖像画の基礎的研究研究者:福井市立郷土歴史博物館学芸員志賀太郎狩野正信は,その活動の初期において「土佐」の一派と称せられ,また日野富子像制作に際しては,土佐光信の技量と比較して言及されるなど,土佐派と共通した作画領域を手がけていた。元信も,父正信のように土佐の一派と見なされた形跡はないものの,正信と同じく多くの肖像画を制作し,また濃彩の絵巻を描くなど,初期の段階から土佐派と共通する領域の作画を行っている。これらのことは,土佐と狩野の両派が,室町時代後期の京都画壇において競合関係にあった可能性を示唆しており,図像や様式,技法等の点で両者が全く無関係に制作を行っていたとは考えにくい。現在,狩野派の絵巻や土佐光茂の漢画風作品等について,徐々に両者の影響関係について明らかにされつつあるが,もっとも多く制作されたと考えられる肖像画に関しては,土佐派の作品について研究の蓄積があるにも関わらず,狩野派では一部の作品が山本英男氏によって紹介されているものの,本格的な研究は未だ手つかずのままである。そ-78 _
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