鹿島美術研究 年報第19号
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渡米の場合とは異なるものであったと思われる。西洋画が流行する中で,伝統的な美術が失われるという危機的な状況下に置かれていた点で,日本とインドは共通していた。更に,春草らの渡印あるいはインド人画家との交流の背景には「アジアは一つ」の思想を唱えた天心の存在が大きく関係していた。これらの時代背景を考えるに,春らの渡印については,研究をすすめるべき重要なテーマであると思われる。本研究では,春草らのインド滞在をきっかけとするオボニンドロナトの朦朧体の受容が,インド絵画近代化に果たした役割について調査し,春草らの渡印の意義を再考察する。更に,近代における日本絵画とインド絵画の影響関係に岡倉天心の思想がどう反映されているのかを探る。それによって,こんにちの近代日本美術史学に対して,アジアとの関係への視点を促し,新たな研究領域も提示できると考える。また,インドでの調査のフィールドを更に広げ,インド側の研究者との交流を通じて,今後,国際的な視野での研究が可能となるようなネットワーク作りに努めたいと考える。⑥ 祭礼図の伝統と変容研究者:滋賀県立近代美術館主任学芸員岩田由美子要約の方でも述べたように,祭礼図の個々の作品については風俗画としての観点から,あるいは,作品の様式や制作背景については,これまでにも盛んに論じられ,大きな成果が得られている。しかし,私は,主に平安時代から連綿と受け継がれてきた各祭礼の,その個別的な性格こそ,絵画化の基盤としても大きく機能していたものと考えている。たとえば,早くから朝廷の尊崇を得た社の祭礼の絵画化は,やまと絵障屏画の伝統と無関係ではないと思われる。また,洛中洛外図の中で,あるいは十ニヶ月図の中で,そのうちのー図にある祭礼の場面が採択されるのは,その祭礼個々の歴史的背景が深く関わっていると考えられる。これらを読み解くことで,各祭礼図の機能を,もっと正確に把握することができるのではないだろうか。本研究は,京の祇園社,近江の日吉社をはじめとし,絵画化されたことが判っている京洛の比較的小社の祭礼も視野に入れながら,祭礼の伝統と変容をたどりつつ,各祭礼の意味と機能を考えてみたい。ここには,現在のこされている絵画作品のみならず,文献上にしかその名をとどめ-34 -

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