⑩ J.McN.ホイスラーと日本—ホイスラー研究センター所蔵の書簡を中心とした調査研究_Centre for Whistler Studiesには,10万通に及ぶホイスラーの書簡が残されており,没後100年の2003年に向けて,その解読とデーター・ベース化の作業が行われている。まPaperも同時にデータ・ベース化され,閲覧が可能である。これらの書簡は,ホイスの言葉である「(テキストは)純粋に視覚的なものだ」に帰して事足れりとすることには疑問を抱かざるをえない。『ジャズ』の共時的な視点からは再検討によって,切り紙絵の持つ多義的な側面が明確になり,20世紀半ばの芸術の流れの中で,マチス芸術が持ちえた意味の全容が明らかにされると考える。研究者:ホイスラー研究センター研究員小野文子これまでのホイスラーに関する研究を通して,ホイスラーがロンドンに移り住んでからも,パリの画壇や日本趣味を持つコレクターたちとの交流を続けていたことが判明した。更に,19世紀のパリの日本趣味の流行にあって重要な役割を果たした日本人美術商,林忠正との関係を示唆する資料もあり,このことから,フランスに学んだ日本人画家たちとの接触があった可能性も予測することができる。1880年代後半,E.W.ゴドウィンの死後,彼の妻であったベアトリス・ゴドウィン(ホイスラーとの結婚後はベアトリス・ホイスラー)と結婚したホイスラーは,ベアトリスがパリを気に入っていたこともあり,フランスとの関係を更に強め,日本への興味は生涯に渡るものであった。今後の研究では,フランスを通してのホイスラーの日本への興味,及び日本人画家たちとの交流の有無,更には日本におけるホイスラー芸術の受容について明らかにされることが期待される。た,FreerGallery of Art, Smithsonian Institute, Wahington DCに保存されているPennelラーの画家としての人生を最も正確に伝える重要な資料であるが,そのほとんどは未公開である。Centrefor Whistler StudiesのデイレクターProfessorNigel Thorpからはすでに客員研究員としての受け入れの許可を得ており,データ・ベースの使用が可能である。これまでの研究と研究環境をいかして,世界でもまだ調査が行われていない,-38-
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