鹿島美術研究 年報第19号
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ぷノ゜乾山の生きた17世紀末から18世紀前半の日本は,近世文化の成熟期の前段階に位置⑫ 尾形乾山の絵画研究者:学習院大学大学院人文科学研究科博士課程安田彩従来の研究では,乾山の陶芸と書画は京焼きの歴史や琳派の流れの中でくくられてきた。しかし,そうした枠組みでは語り尽くせない程,乾山芸術は多様な側面を見せている。そこには,乾山が生きた時代の美意識が如実に反映されていると捉えられよする重要な時代である。文人画の隆盛と江戸文化の開花という観点からも,乾山の書画は重要な位置付けがなされる。美術史では,18世紀に池大雅(1723■1776)と与謝蕪村(1716■1784)により日本南画が大成され,江戸では明和2年(1765)の絵暦会において鈴木春信の見立て画が人気を博し浮世絵が開花する。それは,乾山の没する(1743)直後の文化状況である。元禄文化(1689■1703)と化政文化(1804■1829)に重点をおいてきた文化史研究に対し,近年の研究では18世紀を近世文化の最盛期とみなす見方が強まっている。特に,黄漿宗の流入(1654)による「文人趣味」の高まりについての考察は注目を集めており,乾山の陶芸作品についても中国明末の画譜や陶器の影響が指摘されている。そうした中で,乾山の書画についての研究は出遅れた感があり,いまだに琳派の流れの中のみでの考察に留まっている。乾山の絵画作品については光琳の影響を指摘する説明が加えられ,江戸下向の目的についても「光琳芸術を江戸へ定着させる」という文脈のみで語られている。本研究で取り上げる書画作品は,商品の量産化がすすんだ陶芸作品とは異なり,乾山芸術の本質が比較的捉えられやすいのではないかと考えている。乾山芸術についての研究は,近世文化史研究において重要なキーワードとなる「和」「漢」もしくは「古典文化」と「外来文化」そして,「江戸」と「京都」の問題を総括的に含んだ重要な事例となるのではないかと思っている。-40-

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