鹿島美術研究 年報第19号
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⑬ アストゥリアス美術と「反偶像主義」469年にはじまった西ゴート王国は,イスラム教教徒勢力によって711年に崩壊した⑭ 1880年前後のロシア美術espaiiol de los siglos IX a XI (Madrid, 1919 :この傾向をanti-ic6nicoと示唆する),ついde la Vera Cruz en el reino asturiano (Madrid, 1985.モサラベ教会群に見られる人物表plos medievales. Del aniconismo a la intenci6n docente. Las tres posturas tradicionales de la —レーピン,クラムスコイ,スターソフに関する研究_20世紀初頭のロシア・アヴァンギャルドについての研究は,国際的な影響関係から研究者:筑波大学大学院博士課程太田博が,アストゥリアス王たちは,自身をキリスト教王国西ゴートの正統な後継者とみなすようになり,レコンキスタ運動の母胎を形成した。そしてその美術もまた,『天使の十字架』を筆頭とした一連の十字架作例群に付随する王たちの多用したモットーに見られるとおり,彼らの意向をあらわしたものが多く残っている。しかし,このアストウリアス王国時代の美術は,西ゴートとロマネスクの経過地点とみなされる観があり,現在まで十分検討されてこなかった。プレロマネスク期に多く制作された十字架作例の図像変遷を中心テーマとしてきたものの,「聖人の人物表現の忌避」という問題を,正面から取り扱っては来なかった。このため,まず,この問題を示唆したManuelGomez-Moreno, lglesiasmozarabes : Arte でこの問題にもっとも深く関わったHelmuteSchlunk, Las cruces de Oviedo : el culto 現の欠落と十字架崇拝との関連性を指摘),IsidroG. Bango, "Las imagines en los tern-iglesia", La enseiianza en la edad media (Logrono, 2000.当時の神学的背景を再構築したうえで,アルフォンソニ世統治時代の建築群の人物表現について論考を進める)など,以上の先行研究に主に依拠し,この問題を取り扱っていきたい。研究者:神奈川県立近代美術館学芸員籾山昌夫・意義と価値の分析が進んでいる。しかし,それはロシアを舞台にした美術運動である以上,ロシア国内における歴史的展開も考察する必要がある。ところが,特に我が国では,その直前期,19世紀後半のロシア美術の研究が,ロシア・アヴァンギャルドの研究に比べ-41 _

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