鹿島美術研究 年報第19号
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―1870年代の複製エッチングの流行とその背景__…⑮ 『ガゼット・デ・ボザール』と1873年の挿絵入り競売カタログの「改革」てアンバランスに不十分である。ロシアでは,1860年代にペテルブルグ美術アカデミーに対する批判が始まり,1870年代に西欧モダニズムの影響を受け,1880年前後に美術アカデミーと並ぶ展覧会活動を展開する移動派が「ロシア・リアリズム」を確立する。本研究は,申請者の大学院における研究,「イリヤ・レーピンを中心に1870年代のロシア美術における西欧美術の影響を分析すること」に続くものであり,1880年前後のロシア美術,特に絵画と美術批評について考察する。前述の通り,この時期に移動派の画家は「ロシア・リアリズム」の確立に向かって,作品を制作し,スターソフなどの批評家がその運動を推進した。20世紀初頭のアヴァンギャルドは「ロシア・リアリズム」をアンチテーゼとしたが,ロシア革命後は,その「ロシア・リアリズム」がソヴィエト共産党政権下の社会主義リアリズムの下敷きとなった。1880年前後の「ロシア・リアリズム」の形成を分析する本研究は,ロシア近現代美術史を包括的に捉える上でも基礎となる視点を提供することになると考える。・今後の構想この研究の後には,再び国際的な美術運動への高まる関心を背景として,デイアギレフのロシア・バレーの母体となる「芸術世界」のグループや象徴主義の画家たちによって多様な美術運動が美術アカデミーや移動派と並行して展開される1890年代のロシア美術を研究したい。それによって,19世紀後半のロシア美術の展開を追う1つの研究成果がまとまれば幸いである。研究者:東京大学総合文化研究科博士課程陳岡めぐみ申請者の目的は,複製メデイアとしてのエッチングの分析を通して同時代の美術動向を多面的に浮かび上がらせつつ,1870年代の複製エッチング制作の背景と意義を明らかにし,近代版画史の空白部を埋めることにある。既存の絵画などを再現対象とする複製版画,とくに19世紀の複製版画は,個性の発露や技法的革新を身上とする近代性の美学が障害となって,研究対象としては長く日の目を見なかった。近年ではメディア研究などの中で再検討されるようになったが,明らかにこのジャンルにはいまだ-42 -

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