鹿島美術研究 年報第19号
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⑫ 唐時代龍門石窟の触地印阿弥陀像研究⑳ 堀和平の画業についての基礎的研究研究者:女子美術大学短期大学部非常勤講師久野美樹水野清一,長廣敏雄両氏による『龍門石窟の研究』1941年は,龍門石窟造像の最初の体系的な図像研究であり,同書所載の塚本善隆氏の論文は龍門石窟の膨大な造像記を分析し,唐時代の龍門石窟において西方浄土および阿弥陀信仰が盛んであった旨を明確に示している。ところが,同書は触地印阿弥陀像についてまった<触れていない。また,岡田健氏は「初唐期の転法輪印阿弥陀図像についての研究」(『美術研究』373号,2000年)で,龍門石窟の転法輪印阿弥陀蔵について論じているが,触地印阿弥陀像を重要視していない。触地印阿弥陀像は龍門石窟以外でも,甘粛省の姻霊寺石窟に唐・永隆2年(681)銘の作品があるなど,中国の他地域で散見される。しかし従来は,岡田氏をはじめどの研究者も龍門石窟の触地印阿弥陀像の多さに気づいていなかったため,唐時代,純密以前の中国では,阿弥陀の図像について一部を除き規定があいまいであった,という論で片づけられていた。しかし,唐時代竜門石窟の印相の明かな阿弥陀銘像145件のうち,触地印像は老龍洞の第73号龍朔2年(662)銘像を初出として53件約4割を占める。この触地印阿弥陀像の多さは,単に偶然の産物として無視することはできない。触地印阿弥陀像の出現とその流行には,何らかの信仰上の意味があったと考え,その造形意図を探る事は極めて意義深いと考える。龍門石窟は東都洛陽郊外に位置し,正史に残る皇帝,皇子,皇女,高級官僚,高僧の相次ぐ寄進により造営された。例えば,高宗が勅願し,則天武后も化粧台を寄進した竜門石窟・奉先寺洞は,浄土宗祖師善導が監督しており,触地印阿弥陀像の造像には,中央仏教界の動向が密接に反映しているとみるべきであろう。また,本石窟の触地印阿弥陀像を考察する事で,逆に唐時代に生きていた仏教信仰の中核の一部を理解することが可能になるに違いない。研究者:倉敷市立美術館学芸員杉野文香堀和平(1841-1892)は,岡山県において最初の油彩画を描いたとされながら,そ-49 -

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