—近世日本における美術,地図作成法,そして空間の想像カー一—の生涯および画業については不明な部分の多い画家である。神戸で外国人から油彩画の手ほどきを受けたうち,ほとんど独学で制作活動を続けたようである。油絵の具の扱いに習熟していないことから,残された作品には硬さやぎこちない部分も見られるが,陰影法など西洋の写実的な描写を獲得しようとした努力の跡がうかがえる。このたびの研究では,より多くの作品の所在を明らかにして調査を行い,ついで堀が作品制作にあたって利用したと考えられる写真や版画,印刷物などの資料および関連文献を調査することで,画業に係わる資料を整理したい。こうした資料は,油彩画を修得した経緯など画業を解明する上で欠くことができないものである。また,堀と縁戚関係にあった満谷国四郎が幼少の頃からアトリエをしばしば訪れていたり,近隣の吉富朝次郎も堀が油彩画を描くのを見て,絵画に興味を持ったといわれる。このような周辺あるいは後代の画家への影響関係についても堀の画業に係わる資料調査によって明らかになれば,明治以降数多くの洋画家を生み出した岡山における洋画受容から発展への一端が解明されるとともに,その中に堀和平を位置づけることができると考える。ひいては,日本における洋画受容の一つの在り方も示されるのではないだろうか。⑳ 対峙する世界研究者:コロンビア大学大学院美術史・考古学部博士課程研究の主目的は,世界図屏風がいかに当時の日本の世界観を表しているかを明らかにすると同時に,西洋との間の最初期の文化交流史の中に位置付けることにある。従来の研究は,図像の様式と同定,屏風の分類の問題に焦点を当て,世界図屏風を日本の地図製作の歴史の文脈に専ら位置づけてきた。本研究は,そうした先行研究に参照しつつ西洋の地図や版画の小さな図像がどのように日本の地図屏風の中に拡大されて取り入れられているかを分析する一方,日本の制作者や鑑賞者が,理解に限界のあった世界に関する情報をいかに処理したのかという文化交流の観点をも考察する。この時期の西洋文化の受容の問題は,美術史家だけではなく,日本史家,経済史家,宗教ジョセフ・ロー-50
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