ところが,19世紀の三川内では,輸出に力を入れた製品作りをおこない,また,「陶磁器意匠伝習所」を設立して更新の育成のみならず,デザインに力を入れた製品作りに取り組むなどして,優品を数多く送り出していた。それらは海外で高い評価を受けるなど,幕末・明治期は三川内焼にとって最も栄華をきわめた時代であり,ヨーロッパの工芸にも大きな影響を与えたことがうかがえる。このように,おぼろげながら見えている19世紀三川内焼の様相をヨーロッパに伝世する具体的な作品と関連資料で裏付けながら正確にとらえることで,三川内焼の海外への影響をジャポニスムの視点から探る。また,幕末・明治期の貿易陶磁として日本に伝世する資料との対比をおこない,日本の貿易陶磁として新たなる展開を見せた三川内焼を,日本の工芸史の中に新しく位置付けることを目的とする。⑳ 敦燻莫高窟隋代法華経変相図の研究研究者:早稲田大学大学院文学研究科博士課程下野玲子本研究の目的は,敦煽莫高窟隋代の法華経変相図の正確な図像分析を行い,その思想的背景を解明することにある。ひいては,東アジア仏教美術史の中でも大きな位置を占めている『法華経』が,どのように理解され,受け入れられていたかを解明することにつながると考えている。まず図像分析については,第420窟,第419窟,第303窟のいずれも写真図版が公刊されているが,図像が細かく緻密であり,各場面の拡大図は何力所かに限られているため,実地調査は不可欠である。描かれた場所が天上で床からの距離もあるため,調査を長時間継続することは困難が伴うが,実見によって詳細な描き起こし図を作成すれば,図版類では確認しにくい図像の隅々まで把握し,記録に留めることができるであろう。思想的背景の考察に関しては,ひとつには涅槃経典との関連が重要な鍵になると考えている。賀世哲氏は,第420窟の法華経変の中に涅槃経に基づく内容があらわされていることについて,盛唐期に活躍した湛然(711-782)の『止観義例』から,法華・涅槃二経は牛乳の最上等の美味である醍醐に喩えられることを引き,天台宗では法華・涅槃二経を重んじることが一貫した思想であったと述べているが,それを隋代の-53-
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