鹿島美術研究 年報第19号
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あった。彫刻に限ってみても,古代,中世の仏教彫刻から近世の宮彫・大工彫刻へと続く日本の彫刻の歴史は木彫に代表されるといってよい。材の特性を最大限生かして制作される木彫は,木を伐採し,製材し,木取りする加工全てを含めて,技術集団によって伝統的に育まれてきた文化である。近代以降,新に伝統の中から生み出された日本画と同様,木彫も西洋美術の影響を受けて,写実性を付加され,宗教以外の新しいテーマを与えられて近代化への展開をみせた。高村光雲,山崎朝雲,平櫛田中と続く近代木彫の流れは伝統彫刻の歩む新しい方向性を示すものであった。こうして近代木彫が語られるということはたいていにおいてその近代性,革新性を評価するということになった。しかし,彼らの生み出された直接の母胎となっている幕末から明治.大正における伝統彫刻については,必ずしも十分に知られていない。輸出品として注目を浴びた牙彫などについては一部研究が進んでいるものの,各地域で連綿と引き継がれてきた大工彫刻,欄間彫刻,祭り屋台の彫刻などについてその全貌は知られていないといってよい。しかし現在でも,富山県井波町,滋賀県上丹生など,伝統木彫の拠点はいくつも見られ,江戸後期あたりまでその作品や資料を遡ることができる。近代の木彫家であっても,その訓練の方法や手段は,昔ながらの徒弟制度を踏襲しており,まず技術取得者であることが前提であった。大正期院展を代表する彫刻家のひとり,佐藤朝山(1888-1963)は福島県相馬市の宮彫師の生まれである。山崎朝雲門に入り,フランスに留学してブールデルにも学んだ彼は伝統木彫,西洋彫刻両方の影響を受けている。その佐藤が代表作の三越《天女像》造像にあたり,助手に仏壇彫刻で有名な上丹生の木彫家を使ったことは興味深い。佐藤周辺を中心として,伝統木彫と近代木彫の継続性を確認していくことで手法や作風,工房制作の点から,近代における日本の木彫と広い意味で検証していくことができるのではないかと考える。⑪馬に騎るもの一ー近現代の騎手の図像_研究者:ブリヂストン美術館学芸員坂本恭子近現代における騎馬像のイメージが伝統的な要素いかに摂取した上で新しい側面を生み出していったかを考察する。-55-

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