鹿島美術研究 年報第19号
85/114

⑮ 垂迩曼荼羅の儀礼に関する基礎的研究(5) 晴湖および門人の作品(本画)における構図・図様の典拠およびその継承に関する実証的なデータを得る。さらに,文人画が詩書画三位一体の総合芸術である点を鑑みて,時間の許す限り,当該資料②③①の精査を通じて,以下についても,ある程度の成果を目指している。(6) 晴湖および門人の個々の作品(本画)について,その画題・画賛の典拠およびその継承に関する実証的なデータを得る。以上の重要な目的が達成可能な,奥原家歴史美術資料の整理・分析作業とその帰結としての目録作成は,ただに奥原清湖研究のみならず,江戸〜明治南画史や明清絵画史にも神益するところが少なくないと確信する。また,この研究成果が契機となり,全国各地で未調査の粉本資料が再評価され,その研究および目録の刊行が促進されるという副次的効果も期待されよう。研究者:文化庁文化財部美術学芸課文化財調査官行徳真一郎垂迩曼荼羅と通称される中世宗教画は,通常「垂迩画」あるいは「神道絵画」の範疇で語られる。明治の神仏分離によって,神仏習合にもとづく各種の造形作品が失われたが,同様に垂迩曼荼羅およびこれを本尊とする儀礼もまた,その伝統が断絶させられた。その結果,垂迩曼荼羅は中世絵画史研究においていわば,浮遊した存在あるいは領域となって今日に至っている。垂迦曼荼羅研究がかかえるこうした問題性は,本地垂逃説にもとづく絵画分野の用語の振れ幅にも端的にうかがえる。たとえば「神道絵画」という用語は,昭和30年代における神道史学台頭の時勢と平行するかたちで,一般化したものであり,その意味でタームとしての歴史性を濃厚に負っている。一方,「垂迩画」という括り方は,これらの画像が依拠する思潮(本地垂迩説)を明示する点においては妥当性を有するが,中世宗教史及び絵画史の実情と即応するものであるか検討の余地があり,いまだ研究タームとしての便宜性の域を出るものではない。このように分野の「名付け」が模索されている状況自体が,垂迩曼荼羅の歴史的な(3) 現在は逸失した日中の古画に関して,その原容を探る重要な手掛かりを得る。(4) 江戸〜明治時代における中国絵画の舶載状況に関する豊富なデータを得る。-59 -

元のページ  ../index.html#85

このブックを見る