鹿島美術研究 年報第19号
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1670年以降の晩年に至るまで,ムリーリョは甘美で慈愛あふれる画面を多く世に送り過去に数回なされた個人的な調査でも,極めて協力的であった。⑳ 17世紀セビーリャ派絵画研究研究者:三重県立美術館学芸員スペイン,セビーリャは16世紀には植民地交易の独占港として富と繁栄を謳歌し,芸術・文化上でも‘‘新しいローマ”ともてはやされた。しかし1588年の無敵艦隊の壊滅によって制海権を失ってからは衰退の道を辿ることとなる。さらに,17世紀中頃には,ペストが大流行し,町は貧困と腐敗の混乱に巻き込まれていた。同地は禁欲的で敬虔な宗教画を得意としたスルバランが代表的な画家であったが,度重なる飢饉や病に苦しんだ民衆は,より宗教心をかき立てる作風のムリーリョヘと嗜好を変えた。1630年代のスルバランの影響が残る宗教画から,1660年代の円熟期,出し,スペインのみならず,ヨーロッパ中で人気を博した。しかし,かつては“スペインのラファエロ”と称され,大きな人気を得た彼も,その絵の甘美さ故に,19世紀以降は“感傷的すぎる”と過小評価がなされている。よって,ムリーリョについての具体的で実証的な研究は現代においても進展していない。本研究では,同時代にマドリードで活躍したベラスケスに比して,不当にマイナーな扱いに甘んじてきたムリーリョを,当時の時代状況を可能な限り再構成することによって,再評価を行おうとするものである。そのためには,スペインでの現地調査が不可欠であり,できる限り当時の一次資料にあたり,注文や受容の場の生の声に触れることが必要である。また,文献資料にとどまらず,美術作品特有の視覚的な面での影響関係を掘り下げることも視野に入れねばならない。イタリア,特にローマの美術潮流からの様式的影響やモティーフの借用,さらに独特の身振り表現に込められた意味を復元することによって,より幅広い考察が可能となるであろう。田ゆき-63 -

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