⑩ 正岡子規の絵画鑑賞に関する総合的研究_日本19世紀美術鑑賞史序説ー一畑研究者:早稲田大学非常勤講師岡戸敏幸正岡子規が,晩年,「写生画」に没頭し,文学者の余技にとどまらない優れた作品を残したことはよく知られている。写生画の制作とともに,最晩年の子規を支え,その「いのち」を養ったものは,「眺める」ことであった。「病林六尺」に日々を送らざるを得なかった子規の鑑賞は,大規模な展覧会から遠く離れ,病床にあって自ら手を触れうるものへと限定されていった。それ故に,「画譜」や「画巻」は子規にとってこの上ない存在となった。苛烈な身体的な制約によって,深みと陰蒻を付与された子規の鑑賞は,江戸時代における「文人」たちの鑑賞へと連なる色彩をもつ。明治以降,展覧会場での美術鑑賞が主流となるなかで,江戸以来の鑑賞の方法は途絶したごとく考えられがちであったが,子規という一個人の鑑賞のなかに,その伝統が息づいていることば注目に値する。さらに,子規の鑑賞が,江戸時代の文人を規定していた教養主義や,既成の作品評価から自由であり,自分の「いのち」を養うためにあったことは特筆されよう。子規最後のコレクションとなった渡辺南岳筆「四季岬花画巻」(東京藝術大学大学美術館蔵)を枕辺に置き,朝夕眺めて,「命のびるやうな心地がする」と書いたことは(『病林六尺』百十一),子規による絵画鑑賞の精髄を象徴している。子規にとっての「画譜」の重要性に言及した先行研究としては,ジャン=ジャック・オリガス氏「写生の味子規と日本美術の伝統意識」(『日本近代美術と西洋明治美術学会国際シンポジウム』中央公論美術出版1992)が備わるが,本研究では,子規の言葉を,その対象となった作品とともに読み直すことで,画譜鑑賞の実体と意味を具体的に明らかにすることを目指したい。従来の美術史研究は,作り手の側に視点を据えた作家,作品研究が主体であった。近年,作品受容史,鑑賞史への関心が高まりつつあるが,本格的研究は未だ緒に就いたばかりである。「鑑賞」をめぐる制度,環境,方法が大きく変革した日本近代美術の研究においても事情は変わらない。画譜を中心とする子規の鑑賞が多くの問題点と限界を内包していることは否定しがたい。しかし,それでもなお,子規の眼と言葉は「鑑賞」のすぐれて本質的部分に届いている。全国各機関に所蔵される子規旧蔵作品に沿って,その鑑賞の様相を具体的に再現することは,江戸から明治にいたる19世紀鑑賞史の連続性と,近代的鑑賞者の誕生を考える上できわめて有為であると考えられる。-64-
元のページ ../index.html#90