@ レンブラントとリーフェンスー一↓レイデン時代の人物像素描を中心に一—―@ 北尾重政の狂歌絵本制作について研究者:東京芸術大学美術学部助手熊澤レンブラントのレイデン時代に関しては,工房を共有し共に制作を行ったと考えられるヤン・リーフェンスとの関連からたびたび議論されてきた。レンブラント素描研究の出発点となったオットー・ベネシュの「レンプラント素描集成」(1954-57)では,1000点以上の作品がレンブラント作とされたが,ピーテル・スハットンボルンをはじめとする欧米の主要美術館のキュレーターを中心とした研究者によって,作品の帰属の手直しが進められてきている。クルト・バウホの「初期レンブラントとその時代」(1960)以降すすめられてきたレイデン時代のレンブラントに関する研究においても,彼らの制作活動における密接な関係が指摘されてきているが,『ボーガンを担ぐ兵士』(1627年頃,ドレスデン美術館素描版画室/ミュンヘン版画収集館)など,1631年までの素描作品に見られるように,両者の間で作品帰属の判断が困難な作例が存在している。さらに,レイデン時代の制作活動全般,特に工房での制作活動における人物像素描の機能について,包括的研究がほとんどなされていないのが現状である。本研究は,上記の作品をはじめとするレイデン時代のレンブラントとリーフェンスの人物像素描の特質を,素描様式の分析,および制作行為における役割という点に基づいて考察することで,初期レンブラントの制作活動における素描制作の意義を特徴づけるものである。この考察によって,レンブラントとリーフェンスの素描の特徴を新たな見解を提示することが可能になるのと同時に,レンブラントの工房における制作活動の特徴を,17世紀オランダにおける人物像素描の機能という文脈から新に特徴づけられるだろう。そしてなにより,彼が後にアムステルダムで展開させる大規模な工房における制作活動の原点としての特徴を解明することにも資するであろう。研究者:港区立港郷土資料館文化財保護調査員に狂歌絵本『絵本八十宇治川』と『絵本吾妻挟』の二作品に挿絵を描いている。板元・蔦屋重三郎が企画した墨摺の絵本で,前者は和漢の武者を,後者は江戸の市井風俗を日野原健司弘18世紀後半に江戸で活躍した浮世絵師・北尾重政(1739-1820)は,天明6年(1786)-65 -
元のページ ../index.html#91