⑬ 伊藤若)中研究題材にした内容である。当時江戸で爆発的に流行した天明狂歌を代表する,四方赤良(大田南畝)や唐衣橘洲などの狂歌師たちが序文を寄せるとともに,見開きの画面に描かれた挿絵のそれぞれに狂歌が賛として附されたもので,重政がその長い画業の中で幾度か手掛けた狂歌絵本の中でも代表的な作品にあたる。狂歌絵本といえば,喜多川歌麿による虫や植物,貝などを題材とした豪華絢爛な極彩色の絵本である『画本虫撰』(天明8年刊)や『汐干のつと』(寛政元年刊)などがあまりに有名であり,先に挙げたような重政の狂歌絵本について言及されることはほとんど稀であろう。しかしながら,歌麿の一連の狂歌絵本を出版した蔦屋重三郎が,狂歌絵本の出版を企画した当初,歌麿ではなく重政の方を絵師としてメインに据えていたという指摘(鈴木俊幸『蔦屋重三郎』,若草書房,1998年)や,さらに,江戸名所を題材とした歌麿の狂歌絵本が,重政のそれと極めて類似した様相を呈しているという指摘(鈴木重三「歌麿絵本の分析的考察」『絵本と浮世絵』美術出版社,1979年)を考慮に入れるならば,狂歌絵本というジャンルの中で果たした重政の活躍は見直される必要があるであろう。そこで,これら狂歌絵本というジャンルにおける重政の役割についてさらなる考察をおこなうために,まず,重政が挿絵を描いたすべての狂歌絵本について,その書誌的調査から始め,未だ明確にされていない作品目録の制作をおこなう。次に,重政の作品に狂歌を寄せた狂歌師たちがどのようなグループであるかを探ることで,重政が狂歌師たちといかなるつながりにあったのかを見出す。そして,歌麿を代表とする他の浮世絵師たちの作品と比較をすることで,重政の狂歌絵本がもつ絵画的特色についても分析をすすめたい。以上の考察は,北尾重政という一人の浮世絵師の画業の一側面を照らし出すだけではなく,18世紀後半,蔦屋重三郎を中心にした,浮世絵師や狂歌師,さらには戯作者同士のジャンルを越えたつながりを明かにするひとつの材料になると思われる。研究者:萬野美術館学芸員市川私たち芸術の鑑賞者は眼前にある作品のいかなるところを嘆賞するのだろうか。ある芸術に何らかの価値が見出され,いまに至るまでその価値を保ち続けているのは何彰-66-
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