鹿島美術研究 年報第20号
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⑲ ヘルマン・ムテジウスおよび日本とドイツの言説:1887■1891年本研究ではそのような状況を踏まえた上で、藤岡が日本近代美術および美術史研究において果たした役割を明らかにしたい。本研究を進めるにあたって、まず第一に藤岡に関する一次資料の現存状況を把握し、特に自筆の日記類や『近世絵画史』を始めとする著作の原稿・草稿、さらに旧蔵書についての詳しい調査を行う必要がある。申請者が既に確認したところ、こうした藤岡関連の重要な資料は彼の生地・金沢に非常に恵まれた状態で現存している。これらは従来、美術史の分野では全く言及されてこなかった資料である。国文学研究史の限られた分野で紹介されるにとどまり、大部分は未調査のまま保管されている。これら次資料の調査を通じて、藤岡の多岐にわたる交友関係や、実際に踏査した寺院や旧跡、さらに執筆当時参照した版本類や美術写真などの資料を実証的に解明することができるだろう。また、背景となった明治三十年代の美術史研究動向や金港堂をはじめとする出版界の動静、さらに現在までの藤岡の著作の受容状況についても書評や重版の様子から改めて調査を深め、関連資料目録を作成する必要があると思われる。以上の調査研究により、日本近代美術および美術史研究における藤岡作太郎の業績の全体像を浮かび上がらせることができるだろう。そして、その結果を公開することは、藤岡個人の顕彰にとどまらず、近年活発に進められてきた日本美術史学史の研究全体に対しても、全く新しい方向から資料と事例を提供する有意義なものになると思われる。研究者:京都国立近代美術館主任研究官池田祐子ムテジウス初期の重要な論点である、日本との関係は、今まで殆ど調査されてはこなかった。そのため、調査それ自体が、意義あるものであると言える。また、その際の有力な資料である、ムテジウスからの、またはムテジウス宛の書簡は、紙の劣化が激しく、この時期を逸しては調査がさらに困難になる怖れがある。さらに、ベルリンにある工作連盟資料館に保管されているムテジウス遺稿類の他にも、一部重要な資料が遺族の手元に残されており、その調査が急務である。にわたり、極めて多くの公式な論考を新聞・雑誌記事や書物として公表したムテジウスであるが、日本に関しては、1981年に自らが東京に設計したドイツ福音教会74 -

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