鹿島美術研究 年報第20号
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け、始めて効力を発揮する麒襴の表現が基本である。麒躙は濃度の異なる同色のグラデーションを重ね、補色関係を組み合わせて表現する描画技法で中国隋代・唐代の彩色技法が基本となっている。塑像の彩色は、塑形後乾燥させた塑像に白土(カオリン)の下地を施し、その上に岩絵具を用いて麒躙を施すのが一般的であると理解されているが、彩色まで復元し考察した塑像彩色研究を知らない。塑像の彩色技法は造像技法とともに奈良時代以後には忘れ去られてしまった。研究では実際に手板を作製し、黒色が何の素材を、どの道具を使い、溶液は何を用いて施され、次の工程である白土下地にどのような効果をもたらすのかを解明し、塑像技法の源流である中国に現在も伝承されている造像技法と比較することで、技法の地域性と表現上の意味とその効果を考察したい。中国現地の研究相談相手には、東京芸大から究所)、古美術研修で教えた留学生張元林君が敦燈に居る。また、蘭J‘卜1の甘粛省博物館には張健全氏(前麦積山文物研究所研究員)が居る。⑲ 興福寺南円堂創建当初の供養僧形像と鎌倉再興の法相六祖像研究者:早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程小野佳代本研究の目的は、法相六祖像の前身である創建当初の四躯の供養僧造形像の造立背景や造立目的を解明することにある。これらの問題を解明することによって、鎌倉再興の法相六祖像の性格、および彫刻史の上での位置づけ等の問題も改めて問い直すことができ、法相六祖像に新たな意味を付与することができると考えている。本研究で南円堂創建当初の供養僧形像を取り上げるのは、日本において、南円堂以外に供養僧形像を群像として表した例がなく、極めて異例な作品であると位置づけられることから、南円堂の供養僧形像の造立背景には、特別な事情があったと想定されるためである。一方、中国においては、石窟寺院などに多くの供養天や供養菩薩、または供養参列する人物が表されているが、南円堂の供養僧形像のように僧形が坐った姿勢で柄香炉をもつ供養像は必ずしも多いとはいえない。すなわち僧形が坐った姿勢で柄香炉をもっという図様は、供養像の中では稀少な図様であったと考えられるのである。ゆえに柄香炉をもつ僧形像の意味を検討し明らかにすることは、様々な供養像を得られた李先生(敦煽文物研-78 -

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