に絵画化されていった。それら多様な火事絵の中で、発表者は、江戸の大火の顛末をとぎれのない一続きの長大な画面に描いた絵巻(以降、火事絵巻とよぶ)が諸藩の御用絵師や狩野派の系譜に連なる町絵師の手によって繰り返し作成されていることに注目した。火事絵巻は、他の狩野派の作品が少なからずそうであるように、基本的には古画の模写から習得された描法や空間構成が制作の基調となり、複数の絵手本や模写を組み合わせて作り出されたものであり、火事の進行を絵のみにて叙述するため効果的であったと思われる図様がくりかえし利用されるという図様の伝承もうかがえる。しかし、このような火事絵巻は多くの場合、風俗史や消防史の資料として取り上げられるのみで絵画史研究の対象としては看過されてきたと言わざるをえない。本発表では、火事絵巻の中で最も早い十八世紀後半の作と考えられる国立国会図書館所蔵『目黒行人坂火事絵巻』を例として、火事絵巻の特質が〈テキストの絵画化〉ではなく、実際の火事のルポルタージュを発端とした〈火事風俗の絵画化〉であり、物語を与えられた〈都市風俗図〉といっだ性格を有することを述べる。現存する火事絵巻から、それらが木挽町狩野家の絵師たちによって写されていったことがわかる。もう一方でそれら絵師たちが御用を勤める藩邸が集まる下谷界隈における自由闊達な文化交流の中で、戯作者や町絵師の目にするところとなり、そこでより戯作的解釈の加えられた模本が生まれた可能性も示唆する。次に、単なる引き写しにとどまらない、絵師の学習と工夫が大いに発揮された例として柳川藩御用絵師梅沢晴峨による『江戸失火消防ノ景』を紹介し、絵師が二次元の静止画上では困難を伴う時空間と動きの表現を絵巻という表現方法で追求しようとしたことと、その制作意図がフィクションの世界に鑑賞者を引き込むためであった可能性を述べる。火事絵巻は『伴大納言絵巻』に代表される古典説話絵巻に息づいていた物語展開の手法が、江戸風俗の中に再び展開されたものであり、同時代の火事や風俗のルポルタージュを大きく反映させつつも、単なる情報伝達にとどまらない娯楽性を併せ持った作品として、狩野派の系譜に属する絵師の手により様々に再生され続けたものである。江戸時代後期にあって、絵巻物という表現形式に何が期待されたのかを提示する、注目すべき作品群であると考える。-16
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