1630年代にプッサンと共同制作をしていた重要な画家であるにもかかわらず、同時代1996年にカタログ・レゾネが刊行された。こうした昨今の研究によって、彼らの作品ブラント、テュイリエらによって、特に作品の帰属問題を中心に研究が進められてきた。その後、1994年のプッサンの大回顧展を機に、彼とその周辺のフランスないしイタリア人画家の作品を集めた小展覧会がパリ、ローマで相次いで開催された。また、資料の欠如のために体系的な研究がなされてこなかったルメール兄弟についても、の帰属、制作年代などの基礎的事項の整備が一挙に進められ、作品論に踏み込む研究の土台が準備されつつあると言える。こうした現状をうけて、本研究は、プッサンが前例のない独自の主題ないしはモチーフを採択していることに注目し、古代の石棺やカメオにおける図像がその着想源となった可能性を検討するとともに、そうした主題やモチーフがルメール、ステラら、ローマに滞在したフランス人画家たちの作品にのみ見出されることを明らかにし、その意味を探る。プッサンの古代受容の具体例として、近年ではブル(1997年)が、丸彫り彫刻よりもむしろ、石棺やカメオといった平面性・ニ次元性を特徴とする媒体の使用を改めて強調した。本研究では、こうした先学の見解を敷術しつつ、プッサンが石棺やカメオにじかに触れた機会を検討すると同時に、16世紀末から17世紀前半に相次いで出版された古代のカメオやコインの版画集を利用した可能性もあわせて考えたい。というのも、先行研究ではプッサンが視覚的典拠としてしばしば版画や挿絵本を用いたことが指摘されており、ゆえに古代作品についても必ずしも実物ではなく、版画を参考にしたことが想定できるからである。また、プッサンの古代についての所見を記した、リチャード・シモンズによる手稿(一部のみ刊行)などの同時代資料を実見し、この画家の理念上での古代受容についても調査を進める。更に、昨今の研究成果を参照しながら、ルメール、ステラらとプッサンとの交流や交互の影響関係を丹念に見ていく。こうした作業の積み重ねによって、プッサン研究に新たな成果を付与するだけでなく、周辺のフランス画家たちの作品そのものの分析に踏み込み、また彼らにおける古代受容のありようの解明にも貢献しうる。42 -
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