鹿島美術研究 年報第20号
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゜、つ①基本資料•関連資料を総合的に調査して、不明な点が多い生涯の足跡を跡づける。⑫ 洋画家五百城文哉に関する研究研究者:水戸市立博物館学芸係長五百城文哉(いおき・ぶんさい)は、明治期に活動した水戸出身の洋画家である。高橋由一の門に学んだ初期洋画家として肖像画や風景画に優れた業績を残したが、黒田清輝との接触もあり、さらに自らは小杉未醒の最初の師となるなど、当時の著名な画家たちとの接点を持っている。また、晩年は植物画家として、牧野富太郎らの研究者との交流もあった。しかし、文哉自身は比較的短命(43歳で没)であった上に、中央画檀での活動期間がきわめて短く、残りの人生を放浪と隠棲に過ごしたため、一般からは忘れ去られてしまったのであった。昭和58年に出身地である水戸市立博物館において初の「五百城文哉展」が開かれ、また平成12年に同じく水戸市立博物館と小杉放篭記念日光美術館において、二度目の「五百城文哉展」が開かれた。この二度の展覧会開催がひとつのきっかけとなり、新たな文哉作品の発見、美術館への収蔵、様々な展覧会への文哉作品の出展が目立つようになってきている。文哉の存在は、しだいに一般に認知されつつあると言えるであろしかし、文哉の生涯には、まだまだ不明な点も多く、植物画という特殊なジャンルを含むこの画家の画業の全体像も十分には検討されていない。そこで本研究では、とくに以下の3点について調査を行う。②未調査作品について作品調査を行う③当時の植物画あるいは博物画との関連を調査し、植物画家としての評価、位置付けを行う。以上の調査により、この画家の画業の全貌が明らかとなり、あわせてわが国の近代美術史上に、この画家の存在を正当に位置付けることが期待される。-43 門寿明

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