鹿島美術研究 年報第20号
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また、観方のコレクション形成過程やまたその活用を通して得た広い人脈を考えると、日本画界、染織業界、風俗研究、時代劇映画等の世界への影響にまで問題が波及し、大正から昭和にかけての文化人の活発な交流をも観察することができるものと思われる。⑮ 斉藤義重とロシア構成主義について研究者:神奈川県立近代美術館学芸員長門佐季斎藤義重については、これまでにも数多くの調査研究がなされてきたが、それらは戦後の日本の現代美術における斎藤義重の位置づけという側面に力点がおかれていることが多かった。その理由としては、斎藤が自らの初期作品について詳しく言及しなかったこと、また、戦災などによって現存する旧作が皆無に等しかったことがあげられる。しかしながら、斎藤の創作活動の原点には、1920年に星製薬で開催された「日本で最初のロシア画展覧会」や三科など1920年代から30年代のアヴァンギャルド芸術があり、それらによる衝撃は、のちにまで斎藤に大きく影響してきたものと推察される。今回の調査研究では、今まで明らかにされてこなかった20年代30年代の斎藤の芸術活動を掘り起こし、検証することによって、斎藤義重のみならず、当時の日本におけるロシア構成主義への関心とその影響という受容に対する見方にも、従来とは異なる大きな変化がもたらされることと予想される。さらに、今回の調査で新たに発見されるであろう資料をもとにして、斎藤義重が属していた九室会や日本のアヴァンギャルド美術家クラブなど、当時、アヴァンギャルド芸術を志した他の作家たちについての活動の実態も解明し、より踏み込んだ意義深い研究ができるものと考えられる。⑳ リポールのサンタ・マリーア修道院ー一空間表象と図像配置に関する研究—――研究者:駿台教育文化センター講師小倉康之R.クラウトハイマー、G.バントマンによって確立された建築イコノグラフィー、イコノロジーの方法論は、美術史学の分野では後発の部類に属し、比較的未開拓の分野である。クラウトハイマーの論文が、イェルサレムの聖墳墓教会とその複製建築をテーマとしていたこともあり、これまでの建築図像学は円形建築、集中式建築の研究に偏53

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