鹿島美術研究 年報第20号
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りがちであった。申請者の学位論文も、シュパイヤー大聖堂と聖墳墓教会、霊廟建築との関連性を論ずるものであった。しかし、今後はバシリカ式聖堂、とりわけ、ローマの旧サン・ピエトロ大聖堂とその影響下にある建築の研究を進めるべきだと思われる。従来の建築図像学は、「キリストの墓を訪れる三人の聖女たち」の図像に描かれた建築モティーフ、アナスタシス・ロトンダの考察を中世の建築観を知るための手掛かりとしていた。だが、リポール修道院と旧サン・ピエトロの比較を試みるうえで、この方法は十分な効果を発揮し得ない。聖墳墓教会ほど「描かれた」建築は他に例がなく、バシリカ式の建築の場合、十分な情報量を確保することができないからである。以上のような方法論上の反省から、申請者は、リポールのサンタ・マリーア修道院を研究対象とし、新たに「彫刻の図像選択、図像配置」からのアプローチを試みたいと考えている。写本挿絵や彫刻、工芸作品を対象とする図像学の分野においては既に数多くの著作が発表されている。G.シラーやA.グラバールなど、既存の研究成果の上に立脚すれば、リポールの彫刻群と建築空間との意味内容上の関連性を明らかにすることは決して不可能ではない。したがって、本研究の最大の意義は、リポールのサンタ・マリーア修道院の建築と彫刻を、図像学の方法論によって同時に検討し、二つの方向から象徴体系を読み取っていくことにある。⑰ 厳島図の成立と展開に関する研究研究者:広島県立美術館主任学芸員知念厳島、天橋立、松島の日本三景ほか、和歌浦、富士・三保松原、近江八景など、著名な地方名所を組合わせて屏風一双に描き分ける風俗図のジャンルが江戸時代はじめに確立される。このなかで厳島は、海浜の景勝で知られた上記名所にとどまらず、野や鞍馬といった名所とも組合せられ、単独で遊楽図としても描かれるなど、ことに豊富なヴァリエーションを展開させた点で注目される画題である。厳島図に関する基礎研究というべき諸問題の考察は、このジャンル全体像の理解を果たす際に有効となるさまざまなアプローチを構築するものであると考えられる。本研究にあたっては、狩野派もしくはその影響のみえる漢画系絵師による初期の厳理-54-

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