鹿島美術研究 年報第20号
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⑳ 合貝の図様研究研究者:財団法人徳川黎明会徳川美術館学芸員龍澤本研究は、合貝に描かれた図様を整理してその特色を明らかにし、特に近世前半を中心とする時代に流布・浸透していた、主にやまと絵系の画題の受容の理解を深めることを目的としている。合貝はこれまで、調度品(特に婚礼調度)の一部として紹介されることが多く、遊戯具という性格と、その数の多さから、一つ一つの図様に目を向けた研究は数少ない。しかし、合貝の伝統は古く、室町時代の記録には、山科言継らの公家や寺院が絵を描いて贈答に用いていたとの記録も見られ、これまで絵画史の視点から顧みられることはなかったが、貝は視覚的イメージを伝達する一媒体として機能していたと思われる。現存作例は江戸時代のものであるが、本研究では時代を遡って文献史料に検討を加え、画面形式としての貝の特色についても考察する。個別作品研究においては、制作年代比定を行い、17-19世紀の間、時代を経るに従って図様が変容したか否かについても明らかにした上で、特に17世紀の作と考えられる作例を核として、画題と図様の詳細な研究を行う。文献史料上では貝に歌を書き付けたとの記録も見られ、貝という媒体自体が和歌との結びつきが強かったと思われる。合貝の図様に見られる歌絵的な要素については、和歌の内容を絵画化した図様を扇面形の中に表した「扇草子」と呼ばれている一群との比較検討により考察したい。また、徳川美術館所蔵の尾張徳川家初代義直筆と伝えられるー作品には、嵯峨本『伊勢物語』の図様を典拠としていると思われる図様が数例含まれており、具が描かれたと思われる17世紀前半に流布していた様々な図様が取り込まれていた様子が見て取れる。合具の図様の淵源を探り、嵯峨本のような版本類が図様の流布の過程で担った役割についても併せて研究したい。17世紀の作と推定される合貝(上記徳川美術館所蔵本、林原美術館所蔵本等)の中には、「誰が袖図」や「柳橋水車図」など、近世に屏風絵の画題として流行した図様も含まれており、貝の図様はそうした近世大画面絵画成立の素地と、画題享受の裾野を知る手がかりとなるだろう。彩-57-

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