実際の調査方法として、まずラテラーノ洗礼堂そのものの現地調査が必要であり、時折行われる地下の遺構見学会にも時期を合わせて参加したいと考えている。さらに現地での資料収集が必要である。それら実際の遺構の調査と文献に基づき、以上の研究を進める構想である。日本においては、後期古代の洗礼堂に関する研究はほとんど行われていない。頻繁に発掘が行われ、新しい調査結果が報告される「現地」に対し、日本においてはその結果を受容した上での研究スタンスしか取り得ないという前提条件に立って、いかなるアプローチが可能であるか再考する必要性を実感した上での今回の試みである。⑳ 松本竣介研究研究者:愛知県美術館主任学芸員村上博哉松本竣介が自己の全身像を描いた大作である《画家の像》(1941)と《立てる像》(1942)は、日本近代美術史の中でも最も語られることの多い作品に数えられよう。松本は1941年に「生きてゐる画家」という文章を発表したが、それによって1948年に松本が没した直後から「抵抗の画家・松本竣介」という神話が形成され、〈画家の像》《立てる像》はこの神話を視覚化した「反ファシズムの絵画」と見なされてきたのである。その一方で、やはり松本自身の全身像が描かれている1943年の《五人》と、同じ1943年《三人》については、「戦時下の家族像」と見なされるにとどまり、〈画家の像》、《立てる像》に比べ、論じられること自体きわめて少なかった。今回助成を申請する研究は、1943年の《五人》《三人》を二枚組・一点の作品と見なし、これら4枚の百号の大作が、一貫した動機と明確な構想をもった「三部作」であることを、従来の松本竣介論に欠けていた美術史学の最も基本的な方法(習作デッサンと作品の細部に関する考察、先行する美術作品との形態上の比較)に基づいて明らかにしようとするものである。この「三部作」の主題は「自己」であり、自己の根本的な問題を弁証法的に解決することが制作の目的であった。この点を明らかにすることにより、新たな松本竣介像を提示することが研究の狙いである。-65-
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