はその「機能」や「受容」の問題について、従来詳らかにされていなかった諸点を明らかにするという意義を持っている。この研究は美術史の分野に留まらず、16世紀の人文主義の台頭と宗教改革という2つの大きな時代的要因を契機とする文化全体の世俗化の流れを理解する上でも一助となるものである。⑭ 「東照社縁起絵」諸本の成立について研究者:学習院大学大学院人文科学研究科博士後期課程尾本師申請者は、江戸幕府御用絵師の活動を研究テーマとしている。彼らの仕事の特色として0注文主である幕府の意向に強い拘束を受け、伝統的な図様の踏襲を求められる、0幕府の大規模な事業の一端を担い、組織的に集団で制作を行う場合がある、等をあげることができる。美術史学において、個々の絵師の芸術的達成の位置付けー作品分析ーが重要であることは言うまでもないが、如上のような状況下にある幕府御用絵師の存在意義を解き明かすには、別の角度からも光を当ててみる必要がある。本年5月発表の拙稿では、御用絵師の政治的機能を示し、また、幕府による御用絵師集団の編成過程・編成論理について通史的な考察を試みた渡辺浩が指摘したように、幕府は身分制社会の構築・維持にあたって、視覚その他の諸感覚に訴える方法を採り、行列や殿中儀礼などを通して、将軍を頂点とする身分的序列の浸透を図っていた。建築物の荘厳や、絵画・に留まらず、精緻な格付け装置として機能するよう意図されていた。このような構想の下に、特定の絵師に所領や屋敷を与え、幕府の仕事をするにふさわしい者と位置付けたのが幕府御用絵師である。御用絵師に高い格式が与えられることによって、今度は、御用絵師の作品が身分制杜会において価値の高いものと見なされるようになっていく。さらに幕府は御用絵師の人数を増やしていく過程で、これら幾人もの絵師に幕府の職制に応じた様々な格付けを与え、格に応じた仕事を振り分けていた。そうすることで、絵師の制作物にも相応の格が生じる。こうして、御用絵師は、身分制社会における流通の機構に組み込まれていたのである。元和から寛永期にかけて、狩野探幽には、次々と屋敷地・扶持.僧位等々が与えられ、幕府御用絵師としての格付けが行われている。「東照社縁起絵」制作が命じられたのも、御用絵師として当然の指名だったといえる。一方、住吉家が正式に幕府の御用の大名・旗本への下賜なども、単に自己の権威の視覚化という-70 -
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