鹿島美術研究 年報第21号
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—ーザクセンとブランデンブルクを中心に一の思想的背景と照らし合わせる作業を基礎として、山西省各地に残る同時代の仏教寺院の壁画や、宋代の道教石窟として有名な四川省大足などの石窟造像との内容や様式面での比較を行う。近年、井出誠之輔氏により日本に将来された宋元時代の仏画の伝来ルートに関する研究がなされたが、(『日本の美術』418号、2001)、同じく将来された道教美術と山西省・山東省の全真教美術の関係性についても注目してみたい。また、津田徹英氏により日本の中世の妙見菩薩の図像的源流を道教の神武大帝に求めようとする説が提示されたが、それらの妙見像の作例に酷似した神武像が実際に山西省周辺で幾つか見いだせる。鎌倉時代に禅宗寺院に伝えられた道教神像の図像の中にも、禅との繋がりから全真教との関係が求められる可能性がある。この他にも調査の進展に伴い新たな知見が得られることが期待できる。道教美術の研究は世界的にみてもようやくその端緒についたばかりであり、日本の宗教美術史研究者にとってもその総合的な研究は焦眉の課題といえよう。⑯ 宗教改革期のドイツにおける宮廷と美術研究者:東京学芸大学教育学部助教授秋山大きな枠組みとしては、15世紀後半から16世紀前半にかけてのドイツ美術において、近代的思考の萌芽たる人文主義と、中世末期神秘主義の流れを汲む即物的な視覚的信心行為(いわゆるSehfrommigkeit)がどのように混在、並存していたかを解明することを目的としている。このためには、宗教改革前夜のヴィッテンベルクのザクセン宮廷およびハッレのブランデンブルク宮廷を、モデル事例として検討することが的確だと思われる。両宮廷は、方やルター側、方や反ルター側と宗教改革上の立場は違えたものの、ともに人文主義の振興や美術への積極的な庇護という点で多くの共通点を有するし、また中世末期特有のきわめて即物的な信仰形態にも共に共感を抱いていた。優秀な美術コレクターとしての側面と熟心な聖遺物コレクターとしての側面は、これまで包括的に扱われてこなかった。しかしこれらを矛盾としてではなく、総合体として捉えた上で、個々の作例を精細に分析してゆくと、恐らく聖と俗の緊張を卒んだせめぎあいが随所に指摘できることと予想される。既にこれまでの申請者の研究において、これらの宮廷に聰-74-

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