トレース③ 研究発表会本年度の研究発表会は5月16日鹿島KIビル大会議室において第10回鹿島美術財団賞授賞式ならびに2003年度「美術に関する調査研究」助成者への助成金贈呈式に引き続いて、財団賞受賞者とそれに次ぐ優秀者である計4名の研究者により次の要旨の発表が行われた。研究発表者の発表要旨:「土田黍傷初期の作品について-「春の歌」「罰」「徴税日」における明治30年代後半の西洋絵画受容をめぐって一」発表者:関西学院大学大学院研究員上田税日」における西洋絵画の影響と萎倦の受容の特質を明らかにしたい。これは明治30年代後半の京都の日本画の問題の一側面でもある。佐渡博物館所蔵の萎倦初期の写生帖には、「春の歌」「罰」「徴税日」3作の制作過程を示す写生や下絵に混じって西洋絵画模写が含まれている。それらを手がかりに調査を進めた結果、これら3作に関連する西洋絵画とその受容の特質がかなり具体的に明らかになった。西洋絵画模写は、当時のイギリスのロイヤル・アカデミーの画集や美術月刊雑誌『TheStudio』、フランスのサロンの画集やミレー素描集などの複製図版から自分の作品イメージに適った人物像や構図を透写したもので、萎倦はそれらの人物像や構図を巧みに利用し、さらに実際の人物写生を繰り返し行って「春の歌」「罰」「徴税日」を制作している。萎倦の西洋絵画模写は遊ぶ子供や腰掛ける婦人など日常と違和感のないものであるが、選択されたものは現在ほとんどが無名の画家の作品である。けれども、それが当時最新の西欧美術情報であったと考えられる。また当時の近代京都の日本画家・土田萎倦(1887-1936)における西洋絵画の影響は、当時急激に流入してきたヨーロッパの印象派以後の作品に影響を受けて制作を行うようになる明治42(1909)年以後を中心に論及されたきた。本発表では、それ以前一明治37年竹内栖鳳塾入門から明治42年京都市立絵画専門学校入学まで一を「萎倦の初期」とし、この間制作された「春の歌」「罰」「徴文-16
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