鹿島美術研究 年報第21号
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看過される結果となった。いずれもルネサンス以降の伝統的な明暗法もしくは象徴主義における観念的な影の重要性について再考したものであり、印象派の画家が探求した新しい陰影表現を分析したものはなきに等しい。本発表は、1870年前後のモネの作品を明暗表現と奥行きの観点から分析し、西洋絵画のキアロスクーロの発展的継承の系譜を跡付けようとするものである。そのことは、い陰影が作品に導入される過程とその効果を、多層的に捉え直すことによって明らかとなる。また、その歴史的意義を確かめるための一つの方法として、同時代のオリエンタリズムの画家であるジャン・レオン・ジェロームの光と影の表現と、モネの陰影とを比較対照させることを試みたいと思う。印象派を痛烈に批判したことで名高いこの圃家は、写真術を利用して自ら明暗法の刷新を図ろうとしていたために、若い前衛画家たちが見出した表現方法の革新性を容認することができなかった。伝統的な明暗法に依拠する画家との対立構造を解き明かすことによって、印象主義がその本質を揺るがし変容させたキアロスクーロの実像を浮き彫りにすることができる。この例証は、19世紀後半のフランス絵画におけるキアロスクーロの問題を今後考究していく上で一つの道標となし得るのではないかと思われる。「福岡平野と異風ある菩薩像一小田観音堂の千手観音立像を中心に_」発表者:九州歴史資料館学芸員井形を中心、頂点として裾野を広げる構図の中に、位置付けられてきたと言ってよい。し1990年代以降、西洋絵画の中に描かれた影に関する重要な論考が発表されているが、福岡平野は福岡県の北西部、玄界灘沿岸に広がっている。大陸との交流の窓口として知られるこの地には、歴史上著名な寺社もまた、少なからず存在している。仏像を考える立場から言えば、福岡平野の南、太宰府に所在する観世音寺が、やはりその筆頭である。このに居並ぶ諸像の、都風の洗練と加えての大きさは、他の追随を許さないものがある。鎌倉時代の前半までについては、当地の仏像は、このような観世音寺諸像進-18 -

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